「グループ作業」は、リワークのグループを職場に見立てて、納期を決めて全員でプロジェクトに取り組むプログラムです。

ホームページにも、これまでのグループ作業の成果物をアップしています(リンクしています)。

 

ワクワク♪ リワーク通信

 

響生~memoirsこの1年を回顧する~

 

和(なごみ)~こころの寄り道~

 

文芸誌オーロラ(Aurora)

 

これらの過去作品一つ一つに、その当時CRESSに在籍し、グループ作業に関わったメンバー皆の経験が拡がっています。

 

グループ作業に取り組むことを一つのきっかけにして、それまではほとんど意識していなかった自分自身の姿や、メンバーやスタッフへの気持ちや想いに気づく人がいます。

 

例えば……

 

  • それまでは『職場で辛い思いをして休職に至った者どうし』だと思ってメンバーと関わっていたAさんが、グループ作業でリーダーシップを発揮するポジションに就いた時。周りのメンバーたちが消極的で、仕事に向かってくれず、Aさんは自分はグループ全体のことを考えているのに、メンバー達は他人事で、非協力的だと感じました。そんな時、Aさんは、それまでリワークで感じたことがなかった腹立たしさや、失望を、メンバーや、リワークのグループに対して感じています。

 

 

  • それまでBさんは、リワークでメンバーと仲良く趣味などの雑談に興じていました。そんなBさんが、グループ作業で仲の良いメンバーと一緒に組んで仕事をすることになります。しかしその人は、グループ作業の肝心なときに欠席をし、しかも欠席した後も、そのことに触れようとせずに、以前のように趣味の話を持ちかけます。Bさんは、以前のようには心からはその人と雑談する気にはなれません。

 

 

  • それまでCさんは、リワークで学んだ概念や手法を使って、休職した理由を文章化し、整理し、図解しながら、自己理解しようとしていました。そんなCさんが、グループ作業で、相手から、「Cさんは、目の前の私たちと、真剣にコミュニケーションを取ろうとしてくれない」と指摘を受けることになってしまいました。これまで紙の上に描いていた自己理解の図解とは、一体何だったのでしょうか。Cさんは、愕然としてしまいました。

 

 

私は、しかし、このような創作エピソードが、CRESSに参加したメンバーの皆に起きることが大事だと思っています。

 

こうした経験は、それまで見ないようにしていた相手と自分の姿を見る経験です。それまで感じないようにしてきた気持ちを知る経験です。

 

グループ作業でメンバーがワークグループの仲間になることで、初めて気付けることもあるのです。

 

リワークに参加しても、「リワークは職場とは違う」という経験に留まったままだと、職場や仕事という現実に向かう力は生まれません。

 

リワークが、辛い職場からの避難場所であり、傷つきを手当をする場所である、ということは否定できないし、その意義を私は十分に考えます。

 

しかし、リワークが職場とは違って良い場所のままであっても、あるいは逆に、悪い場所のままであっても、職場というグループでの経験とリワークというグループでの経験が、自分自身を通じて繋がるものにはなっていません。

 

それだと、いつまで経っても、困った問題も危機を起こす原因も、自分の外側に存在しているという話になります。

 

そうなると不調になるたびに、自分の外側の環境を変えようという発想と行動が繰り返されるでしょう。

 

休職してリワークに参加された方に対して、私たちは、その人の環境を変えることに対しては、ほとんど無力です。

 

私たちが出来るのは、リワークというグループに参加したその人が、グループの中で、メンバーとの間で、そして私たちスタッフとの間で、一体何を思い、感じ、考えるのか。その経験を、一緒に考えることです。

 

職場と違ってリワークは良い場所だと思って来たけれど、やっぱりリワークに来ても、自分は上手くいかない。苦しい。どこに行っても、やっぱり自分は自分なんだ。

 

そういう経験がリワークで持てることこそ、その人が、休職して本当に自分に向き合っている証拠なのです。

 

リワークを本当に利用できている証拠なのです。

 

それまでは、「どこに行っても、自分は自分で、上手くいかない、苦しい。なんで自分はこうなんだ」ということすら、意識することができなかったはずなのですから。

 

こういう経験をされることが、どれほど貴重なのか。

 

でも、すると、自分自身が悩み多き困った存在で、そういう自分の変わらなさに嫌気がさし、自暴自棄になるかもしれません。

 

だからこそ、私たちスタッフが、その方の隣にいるのです。

 

グループ作業で自分の壁にぶつかるとき、そういう弱った自分が、人と関わることができるのか。

 

自分ひとりで閉じこもっている世界を、どうにか開き、経験を自分と相手とで何とか分かち合えるのか。

 

言葉にするほど簡単なことではないはずです。

 

一緒に、この簡単なことではない仕事に、取り組みましょう。