皆さん、12月になると本格的に冬が始まったと感じる日も増えてきました。起床したときの肌寒さに勝てず、布団にしばらく留まるのは私だけではないはず…。とは言いつつ、冬の朝の静かで透き通った寒さも季節の特別さを感じさせてくれる好きな瞬間です。

さて、今日はリワークというより、少しプライベートっぽさのあるブログになりますが、お付き合いください。

私は和で働いている心理士です(このブログを書いている時点で、和で働いているのはわかっている、という前提は承知の上の名乗りです)。現場で働いていると『先生』と呼ばれることが多いのですが、私はこの『先生』になかなか慣れない人間でした。先生=①専門性を持ち、②その専門性を生徒に教え、③導く立場 というイメージが自分にはあります。そのイメージと自分が結びつき難くかったのがその原因のひとつです。心理士資格取得の流れは大半が大学→大学院→修了した上で資格試験→合格(資格取得)となります。先生と呼ばれるには、社会に揉まれるような経験も専門的なことも自分の体験からお伝えできるようなこともない中で、心理士となれば『先生』となる訳です。「先生と呼ばれるけど、私はそんな全然違うんです…いや、違わなくはないのですが……でも、違うんです…」みたないことを何度も頭で思いました。しかし、それも1年を過ぎるころにはすっかり慣れて、先生と呼ばれても「はーい」と抵抗感なく返事をする自分に変わっていったように思います。

私が先日、母校で行われた卒後研修に参加をした時の話です。受付で名乗り、「はい、〇〇先生お待ちしておりました」と言われ、名札をもらって着席。母校なので、その場には同期も先輩も後輩もいて、もちろん自分が教えを乞うた教授もいます。久しぶりの再会に喜びながら話しかければ、同じ学びを共にした仲間からは、「〇〇さん、ちょっと聞いてよ!」「久しぶり、〇〇!」と、教授たちからは「〇〇さん、元気?仕事はどう?」と言われます。これがなんとも嬉しくて。教授たちや仲間から見れば何年経とうとも私は院生の私のままなんです。家族や友人ほど近い関係性だともちろん私のことを心理士としては見ず、個人としての関係性になるのですが、院生としての私というのは、個人すぎることもなく心理士すぎることもない、不思議なバランスの私、私というアイデンティティが仕事とプライベートの他にも存在を認められている、そういう感覚だったのかもしれません。

研修中は自分の力に繋がる貴重な話を院生時代に戻ったような気持ちで聞くこともでき、自分と同じ学びを経験した人たちがそれぞれの職場で励んでいるのを知ることで気が引き締まる体験をしました。初心忘れるべからず、なんて言葉もよく耳にしますが、普段から真剣さと謙虚さを忘れずに意識していてもどこかで人間は慣れが出てきて、初心の頃よりも椅子に深く腰をかけてしまうものです。常に意識をしていることも大事だけれど、ふとした時に初心の頃の自分に帰れる環境に触れるということも大事ということなんだろうな、と研修終わりに電車に揺られながら思いました。

なんでこの話をブログに綴ろうと思ったのか、と聞かれてしまうと、「わからないけれど、話したいと思ったから!」と答える他ありません。話したいことをありのまま話すってどうなの?もっと意味のあるものにしないといけないんじゃないの?と普段の私は思いますが、もう一方で今の私は、この内容を相手がどう受け取るかは自由だし、話したいという気持ちで発信したって良いじゃないか、と。そうだよね、それで良いよね、と自分の自由さを許してあげたいのかもしれません。

これと言ったオチはありませんが今後も今回のように時折、自由に書くこともしていきたいな、と思います。もしご興味があればまたお付き合いください。

それでは皆さん、寒さは日に日に強くなっていきますので身体は芯から冷やすことのないよう、今年の冬を感じながら、お過ごしください。