今回のブログでは『コミュニケーションの中の自分』について、少しお話ししたいと思います。

 

先日、心理教育というプログラムでコミュニケーションについて現在、リワークに在籍されているメンバーにお話しする機会がありました。

コミュニケーションと聞くと、言葉でのやりとりをイメージされる方が多いかもしれません。しかし、言語的なやりとりだけではなく、発信する際の声のトーンや空気感など非言語的なやりとりも含めて、コミュニケーションと考えます。発信者だけではなく、受信者の反応もそこで起こっているコミュニケーションの要素となっている、つまり、お互いのあり方がコミュニケーションには反映されているということです。

 

自己分析というプログラムでも、コミュニケーションについて触れる機会がありました。自分のコミュニケーションのあり方も含んでいる、『苦手な人とのつきあい方』というテーマをメンバーに考えてもらったのです。自分が相手をどう苦手だと見ていて、苦手だという思いがどのような自分のあり方に反映されているのかということです。相手との交流で、自分が今以上に苦痛な思いをしたくないと、必要最低限の対応で収める方も居れば、相手の良い面を知るために、あえて積極的に関わっていくという方も居ました。様々なコミュニケーションの形を共有すると、改めて、コミュニケーションというのは、非常に個性のあるものだと認識できました。

 

リワークでは、上記2つのプログラムのみではなく、自分の復職に繋がるさまざまなコミュニケーションにメンバーが日々、意欲を持って取り組んでいます。

 

コミュニケーションというのは、私たちの生活の中に常にあるものです。相手は家族や友人、職場の人が思い浮かべやすいかもしれません。しかし、もっと色々な人とも実はコミュニケーションをしているのです。見知らぬ人同士でも起こります。例えば、狭い道で自分の正面から人が来た時に、道を譲るのか、そのまま突っ込むのか。電車内で自分は座っていたとして、立っている人が目の前に来た時に、スペースをもっと詰めるのか、詰めないのか。落し物をした人に直接声をかけるのか、交番に届けるのか、そのまま見て見ぬふりをするのか…こうして見ると、コミュニケーションの幅というのはとても広く、自分の個性がよく表れていると感じることができるのではないでしょうか。つまり、人との関わりの中には、『自分』が居るのです。

 

このブログを読んでいる皆さんが改めて、コミュニケーションを振り返る時、

そこにはどんな『自分』が存在していますか?