リワークのプログラムに、「グループセラピー」というプログラムがあります。
普段のプログラムでは、メンバーは椅子に座り、机を前にします。
グループセラピーでは、机を片付け、椅子だけ持って、皆で輪になって座ります。
そして、皆で自由に話し、考えるのです。
「自由に」とは言っても、一つ約束があります。
それは、リワークで経験していることを話すのです。このグループの中で経験していることです。
つまり、自分たちが参加しているグループの中での経験に、そのメンバーどうしで、向き合う時間です。
発言は、誰からしても良い。話す順番も決まっていません。
だから、誰も話さなければ、グループの中に沈黙が生まれます。
グループセラピーに参加すると、普段とは勝手が違う時間に、多くのメンバーが戸惑います。
『なぜ皆黙っているのか。』
『この人が話したのに、皆押黙って、話さない。なんで?』
初めて参加すると、十何人ものメンバーが車座になって座り、普段の会話をするでなく、黙っていたら、一体何が起きているのだろう、と思うはずです。
グループセラピーで一体何を話していいのか分からないと、難しく感じるメンバーがいます。
一体何のための時間なのか、回を重ねても、よく分からない。そう思うメンバーもいます。
その一方で、グループセラピーでの体験に、何かを感じ取っているメンバーもいます。
それは、単に発言できるからではなく、グループセラピーの時間で、心が動いた、という感覚です。
それも、今まであまり経験したことのないような、心の動きです。
その日のグループセラピーが、どういう展開になるのか、それは誰にも分かりません。
こう書いても、一体、グループセラピーが一体どういうものなのか、経験されていない方は、分からないと思います。
グループセラピーで心が動く経験をするメンバーがいる、ということを言いました。
それは個人だけの心の動きに留まりません。
グループが生みだす、グループの心が、その時、動いているのです。
そういう動きが起きるのは、経験の場であるグループの中で、その経験に、参加者全員で向き合うことから生まれます。
それは、おそらく、頭で知的に考えていることではありません。
図解するように、整理して納得していることでもないはずです。
自分でも良く分からない情緒や想いが、グループの中で何らかの心の接触により、生まれてくる。
そういう心の動きです。
それは、今この場所で、メンバーどうしの触れ合いによって生じる経験です。
グループセラピーにスタッフの私が入っている時、この触れ合いと動きがグループの中で生まれることを想いながら、メンバーの話を聴き、沈黙を感じ、何か言葉で伝えられるものが心の中から出てくることを、待っています。
グループが死んだように硬直している時間が、いかに生命を帯びて動き出すか。
こう書いても、グループセラピーが一体どういうものなのか、参加したことのない方は、やっぱり分からないでしょう。
分からないはずです。
生きることや成長することが、説明できないことに、似ています。
グループセラピーが難しいのは、心が動く経験がいかに難しいかということも示唆しています。
グループセラピーは難しい。
願わくば、一人でも多くのメンバーに、「難しい」というだけで片付けられないプログラムになったらと思います。
今まで重ねてきたグループセラピーで、固まっている心が、その瞬間、動き、生きた反応をグループに引き起こし、何かを感じる経験があったことを、これまでCRESSに参加された多くのメンバーは知っています。その場に立ち合ったはずですし、まさに心が動いた当事者かもしれません。
今まで感じたこともない情緒や、考えていなかった想いが自分を捉え、そういう自分が、一緒にリワークに参加している人たちの中で、登場したのかもしれない。
グループセラピーは、一体何の役に立つのか。
「こういう風に役に立つ」という言い方は、無理にしないでおきたいのです。
取って付けたような言葉になるでしょう。
実際に役に立つと思う人もいれば、役には立たないと思うかもしれない。
役に立つかどうか、それは分からないけれど、何が起こるか分からないまま、よく分からないグループセラピーに参加し続けたこと。
それは、リワークに参加し続けたことにも、似ているかもしれない。
何かがあれば、良いのですが。