3月も後半になり、朝晩の寒さと昼間の暖かさとの気温差に戸惑いを感じながらも、春の訪れを心待ちにして日々を過ごしています。

急な話しですが、このブログを読まれている皆さんはAIを使っていますか?今やアプリにもなり、その機能を身近に感じられるようなCMもよく目にしています。私もあるAIを勉強に使っています。対人の勉強会では「理解が間違っているかも」「私だけ追いつけていないかも」と恥ずかしくて質問できないこともAIには遠慮なく聞くことができます。正解であれば「よく理解できている」と褒められ、間違っていても「惜しい、良いところを抑えられている」と言われると悪い気はしません。

今、AIに『心』のことを相談する人が増えているようです。自分の困ったときにいつでも答えをくれる存在がいる、ということは心強いのでしょう。不安になった時に、私たちはその漠然とした怖さに足元を揺さぶられ、混乱します。どうしたら良いのか、何が正解なのか、見えないままではなく、しっかりと足元が固められるように自分以外の誰かに助けてほしい、と願います。そんな時、AIはきっと助けになるのでしょう。いつでも身近にあって、自分の求めているタイミングで話を聞いてくれる。莫大なデータベースから何をユーザーが求めているのか解析し、正解を教えてくれます。とても心強いですよね。しかし、私はこうも思います。「果たして、今感じている私の『心』というのはデータで解析できるようなものなのか」と。統計的に見ればもちろん、解析できると思います。でも、今ここにいる私の『心』はデータではありません。その人が生きている過程で、体験は繋がっているものであり、誰かの体験と類似はしていても、同じではありません。生きている中で起こる『心』の動きは、同じく今を生きている他者との間で、共に頭を悩ませることで解決に至らずとも、孤独感を抱いている自分に対する共感によって一人ぼっちではないことを教えてもらえたり、寄り添われると感じることは実際の行動ということではなくとも、まるで抱擁されているような体験に繋がっているのではないでしょうか。

私は心理士ですが、将来的に心理の仕事はAIで代替できるようになるという意見も聞いたことがある一方、AIに心理の仕事はできない、という意見も聞きます。どちらもおそらく、その通りであり/そうではない、と私は思います。その人が何を心理士に求めているのかが、答えの分かれ道になるのでしょう。心理士ということに限らず、対人の中で自分が何を相手とやりとりすることを求めているのか、AIが人間の代わりになることもあれば難しいことも出てくると思います。

自分は何を対人関係で体験するのか、AIとどう付き合っていくのか、自分の足でどのように立ちそして歩んでいけるのか。便利な時代で自由に選択できることが増えているからこそ、自分のために丁寧に考えていきたいな、と思います。