三人は、それぞれの職場への旅立たれて行きます。
三人のメンバーの復職を祝い、四月からの健闘を祈りたい思いです。
それぞれ在籍期間は違えど、リワークでの思い出は言い尽くせないほどたくさんあります。ああいうこともあったな、こういうこともあったな、と思い出していくと、三人が作ってきた、リワークプログラムでの出来事の記憶に出会います。
リワーク最終日、CRESSでは卒業式をしています。在籍メンバーから贈る言葉を述べ、卒業するメンバーが返答をするのです。
在籍メンバーの脳裏にも、卒業するメンバーと過ごした日々の記憶が呼び起こされていたことでしょう。復職を祝いしたい気持ちだけでなく、翌日からは彼ら彼女らがリワークにいないことに、哀しみを感じていたと思います。
リワークを卒業しても、CRESSでじゃ同窓会や交流会があります。再会できる機会があります。
しかし、そのことは知っていても、やはり、これまで机を並べたメンバーが、次の日に来てもいないことは、悲しいものです。
卒業という別れの場面に立ち会うとき、「出会い別れ」ということを、考えます。
今週の自己分析のテーマは、「出会いと別れ」でした。
そこでも、メンバーにとって、これまでの喪失体験がどれほど大きな影響をもたらすものか、あらためて考える機会となりました。
卒業は、三人にとっても、三人を送り出したメンバーにとっても、喪失体験でしょう。
今週、別れを惜しむメンバーさんを私は見ていて、「別れ」が悲しいと感じられる「出会い」をその人はしたのだな、と思いました。それは、かけがえのない体験だと思いました。
私たちは、いろいろな場所で、多くの人と関係を持ってきたはずです。家庭、学校、職場……。
人生において、別れることが心から悲しいと感じられる出会いを、私たちが一つでも持てたなら、それは、目には見えない成長を私たちにもたらしてくれるように思います。
リワークプログラムは、復職を目指すプログラムです。
しかし、メンバーの卒業式で、別れの悲しさを感じているところを目の当たりにしたとき、リワークの目に見えない意義とは、人生のこの瞬間の出会いの尊さを感じ、喪失を悲しむという体験に開かれる場所となりうることであるように思います。
喪失を哀しむことは、生きていることでもあるのですから。休職したメンバーが、生きる場所になることを、卒業式のたびに感じます。
リワークを旅立った三人との別れを哀しむとともに、三人が、四月から新しい場所で、別れを哀しむことができるような出会いを新たにされることを、願っています。