今日、お一人のメンバーさんがリワークを卒業され、職場に戻って行かれることとなりました。復職を祝し、今後の健闘を祈っています。

無事に復職を達成できたことを嬉しいと感じられると同時に、リワークが今日で最後になることに、喪失感も体験していることを、その方は話されていました。
それは、リワークが大事な対象となったことを意味しているでしょう。だから、失うのが哀しいと感じられるのだと思います。
そう感じられるのは、リワークでスタッフとメンバーと過ごした人生の時間が、大事で愛すべきものになったからでしょう。
休職期間をリワークで過ごしたメンバーが、リワークでの時間を振り返ってみたとき、愛おしいと思える体験ができたら良いな、と願わずにはおれません。
そういう体験は、その方がリワークを離れてからも、内側から、その方を励ましてくれるはずです。

グループは、しかし、自分と違う人がいる集団です。
性格も、年齢も、職業も違う人がいる異質な集合体に、リワークに参加するときには入っていかなくてはなりません。
そこは、安心できるとは限らない場所でしょう。
むしろ、「馴染めるだろうか」とか、「気の合わない、苦手な人はいないだろうか」という不安を持ちながら、参加を開始されたことでしょう。
たとえ徐々にリワークに慣れることができたとしても、あるとき、例えば、誰かとのコミュニケーションが上手くいかなかったり、対立したり、気分を害することを言われたり……と、リワークグループの中で不快になる体験をすることが出てくるでしょう。

思えば、休職に至る際には、その人にとっての職場のグループとは、脅威的なものになっていたはずです。もうそのグループの中に居続けることができない……と、休職のときには感じられていたことだと思います。

個人にとってのグループとは、このように、決して快いものではないのです。
自分の思い通りにはいかないし、欲求を実現しようにも、それは叶わないことが多いでしょう。
自分とは異質の者とコミュニケーションすることの疲労と、そのコミュニケーションの叶わなさを味わわされるでしょう。
――それが、グループです。

職場でそういう苦々しく辛いグループ経験を持った方たちが、リワークには集まっている。

そういうメンバーがリワークを卒業するときに、その別れが哀しいと感じられたならば、おそらくその人は、休職のときには自分を苦しめたはずの「グループ」というものに、今は癒されてもいるのでしょう。

グループは、そして、自分と異質な人たちは、私たちを苦しめ、ときに心の病にまで追いやることもある。
グループは、そして、自分と異質な人たちは、私たちを支え、治療してくれることもある。

リワークに参加しているメンバーの一人でも多くの方が、グループの持つその二面性を深く体験されることで、より豊かに、新しく変化されていかれることを、願います。