新年が始まり、早いもので1月も下旬ですね。年末年始は慌ただしくもあり、ゆったりでもあり、時間のリズムが乱れがちになりますが、段々と元のリズムに戻ってきている方も多いのではないでしょうか。

さて、今日は相手と交流することについて、『スクイグル』のお話としてブログを書いていきます。

そもそも、スクイグルとは何なのか、ということを最初に簡単にお話したいと思います。スクイグルとは、イギリスの小児科医・精神科医・精神分析家のドナルド・ウィニコットが開発した芸術療法のひとつです。元々は、ウィニコットが、言語表現が苦手(未熟)な子どもに対しての関係構築や治療を行う際に使用していました。なぐり描きの線に自分の想いを投影し、それを治療者に渡すこと、それを受け取った治療者が絵を見出し、描いて返す。この作業を相互に、繰り返すことで、心を知る、共に考えていくことができると考えられています(便利な世の中ですので、ネットで調べていただくとより詳細な説明が出てくるかと思います)。子どもに対して、と書きましたが、自分の想いを投影し、それを誰かに渡す、ということは年齢問わず、日常生活の中で行っていることでもあります。大人になると主に言葉を用いることが多いかと思いますが、リワークではアートセラピーのひとつスクイグルを用いて非言語的に相手と交流することとして、体験をしてもらいました。

スクイグルはイメージよりもずっと難しい営みである、と私個人は感じます。まず、なぐり描きをすることに難しさがあります。大人になると、自分が発信する先の相手のことを考えるということを自然とするようになるわけですが、なぐり描きで自由に筆先を走らせる、というのは全く違う作業になるのです。つまり、自分の生の気持ちや感覚をそのまま乗せるので、相手のことを考えてしまうと自然ななぐり描きはできなくなります。そうかと言って、相手のことをまるで無視する、というのも不可能に近いので、まずスタートから非常にハードルが高いように思います。

そして、次に受け取り手がそのなぐり描きの線から絵を見出すという作業になるのですが、これも難しいです。線は、なぐり描きなので、当然そこに元々絵に繋がる何かは準備されていません。発信されたなぐり描きの線を眺めて、何かを自分で見つける必要があります。受け取り手が線と向き合っている間、発信側は何を見出されるのだろうか、とそわそわしながら待つ時間を過ごすことになるでしょう。自分の発信したものを相手が真剣に受け止め、そこに含まれている何かを見出そうと考えてくれること。相手の発信したものを、一体何がそこにあるのだろうか、と自分なりに考えてみること。その作業の中に相手との交流が生まれます。

単純なことのように思われるかもしれませんが、その単純さにどれだけ自分が真剣に向き合えるのか。その向き合い方で交流の深さが変わってくるのではないでしょうか。今回はスクイグルのお話としてブログを書きましたが、スクイグルに限らず、相手と交流することについて、振返り、考えてもらうきっかけとしてもらえたら嬉しいです。

…と書きながら、このブログが自分と読んでいる方との交流で、体験のひとつとなっていたりするのかな、と感じました。