さて、いまさらながらですが、リワークは、休職された人達が集まって、リワークに日々通いながら、もう一度職場で仕事ができることを目指す、グループでの治療的プログラムです。
リワークのメンバーはみな、休職しているということで、同じ体験を持っています。
しかし、「休職をどう感じているか」ということに関しては、個人個人で固有の感じ方があるでしょう。
例えば、「会社から過酷な仕事を強要されて、望んでもいない休職に追い込まれた」という風に思っている人にとっては、休職したことで会社への怒りがあることでしょう。
「上司からパワハラをされて、職場に行けなくなってしまった」と思っている人は、この休職はその上司のせいだ、と思うことでしょう。
こうした場合は、休職の原因が当人には最初からはっきりしています。その原因は、会社なり上司なり、自分の外側のものだということになります。原因とされる会社や上司は、自分を休職に追い込んだ加害者であり、休職した自分は、被害者ということになるでしょう。
こういう風に自分の休職を考えているのなら、構図としては、はっきりすっきりしています。
ただ、そういう風に割り切れるような休職ばかりとは限りません。
特に、リワークに日々参加して、メンバーとともに休職について振り返り、自分のことを考えていくと、多くの人は、休職の原因は一つに限定されないと考えるようになるでしょう。
確かに、恐い上司や気の合わない同僚がいたりして、それがとてもストレスになっていたこともあるでしょう。仕事の量が膨大で、残業続きであったこともあるでしょう。
もし、自分の職場がそういう環境でなかったら、自分はひょっとしたら休職せずにすんだかもしれないと思うこともあるでしょう。
しかし、なぜ休職したのかを、いろいろと時間をかけてリワークで振り返っていくと、原因は自分の外側だけでなく、自分の内側にもあることに思い当たるかもしれません。
例えば、自分自身に独特な対人関係のパターン(特に、人間関係がうまくいかなくなるパターン)があり、それが職場で起こっていたことに気付くこともあります。
自分の考え方が極端であったり、柔軟性がなくて、実際に職場で起こっていたことを曲解して受け取ってしまっていて、気分が一層落ち込んでしまったことに気付くこともあります。
職場で仕事をする上で、自分のコミュニケーションの取り方に何らかの弱点があって、上手く集団に適応できなかったことに思い至ることもあるでしょう。
そう考えていくと、職場環境にあった休職の原因と、自分の内側にあった休職の原因との両方に目を向けていくようになります。その両者の相互作用によって、自分が休職した事態を考えていくことにもなります。
「職場に原因がある、職場が悪い」という考えでは割り切れないようになると、「休職したことは恥ずかしいことである」という風に感じられるときも、ときにはあると思います。
休職した自分を責めることもあるでしょう。
罪悪感を感じることもあるでしょう。
休職したことそのものが、悩み種となります。
休職したことが恥ずかしいという気持ちは、その人にとって本当に感じているものです。
恥ずかしいという気持ちの内実は、様々だと思います。
同僚が仕事をしているのに、自分は職場から離れていることを思って、恥ずかしと思う方もいるかもしれない。
仕事を休んでいる、ということそのものが、恥ずべきことだと感じる人もいるかもしれない。
休職にまつわる恥ずかしさや後ろめたさは、すぐに打ち消そうとしても上手くはいかない感情のように思います。
自分が恥ずかしいと感じていることそのものを、リワークに参加しながら、スタッフ含めて一緒に考えていくことが、大事なことだと思います。
恥ずかしさの背後には、その人が自分で長年にかけて作り上げてきた価値観が作用していることもあります。その価値観が、休職している自分を断罪しているかもしれない。
また、自分の弱い部分、不都合な部分を防衛しようとする試みが、恥ずかしさという感情と関係していることもあります。このときは、休職することになった自分にある弱みや問題点について、その人が考えることが辛くて、それを防ごうとすることで、恥ずかしいという感情が湧いているのかもしれない。
こうみてくると、休職にまつわる恥ずかしさという感情を、素直に認めること自体、なかなか苦しいことだとわかります。
ただ、休職していことの恥ずかしさや後ろめたさを考えられるようになったら、それを出発点にして、見えずにいた自分のことを知ることもできるし、復職してからも、役立つように思うのです。
そういうことを考えられた経験を持つことは、どういうかたちでその方が仕事に戻るにせよ、不都合な自分にも目を向けられる強さを持つことに繋がると思います。
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休職の原因は少なからず自身にある。それを認め、自身を振り返る事で新しい自分を作る一歩になると最近は実感しています。認めたくない、でもその認めるという一歩を踏み出すと、思考が変わる。思考が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わり、対人関係も変わる。そうやって良い循環になり大きい変化になる。それで私は少しずつ変化している実感があります。
結局は自分次第。一歩一歩少しづつ頑張ります。
sさん、コメントをありがとうございました。
自分自身の側にもあった休職の原因に、sさんが目を向けようとされていること、およびその勇気をとても嬉しく思います。私達リワークスタッフもその探求のお手伝いをしたいと思っている訳です。
不安や悩みに関して人は、外側に原因を求めやすい傾向の人もいれば、それとは逆に、何でも自分が悪いとして自分を責め続ける人もいるように思います。そのどちらもおそらく、一方的な見方であり、バランスのとれた見方をするのは、とても難しいことですね。
自分を責めてよしとする人は、本当は自分が職場に抱いていた不満や怒りに目を向けるのは苦痛で怖いことでしょう。だから、なんでも自分が悪いで、話を終わらせてしまいます。
「自分じゃなくて相手が悪い」と思う人は、自分の側にも実は弱点や課題があったと考えるのは、とても苦痛なことになるでしょう。常に外側から攻撃される被害感が強くなってしまいます。
「自分自身を変化させていくことで、自分をとりまく世界の見方や体験も変わってくるのだ」という気づきは、とても大切な洞察です。しかし、自分が変わるとは一体どういうことか実感するのは、とても難しい問題ですね。
sさんが、今、一歩一方少しずつ変化されている実感が持てているのは、すごいことだと思います。
私が思うのは、「自分が変化したかもしれない」という気づきは、案外、変化している最中には気がつかないことも多くて、時間が経って、ふと自分を振り返ったときに、「あ、自分はもしかしたら変化したのかもしれないな」と感じることも多いんじゃないか、ということです。
sさんは、今ご自身が意識できている「自己の変化」もあれば、意識はできていない「自己の変わらなさ」もあるでしょうし、これから後になって、ふと気づけるような「自己の変化」が、sさんを待っているかもしれないと思います。
大切なのは、sさんも言われたように、一歩一歩、自分の体験を積み重ね、そこで悩み苦しみもがきながらも、その体験を大事に深めていくことなのだろうと思います。その過程が、変化の軌跡としてその人に実感される時が、いずれ訪れるように思います。