リワークの利用期間の長さには違いはありましたが、リワークへの参加意欲とモチベーションを高く持っていたことは、共通していました。
リワークの参加を始めた頃は、知らない人たちと場所に入る不安があったことでしょう。
4人はリワークに通い続けて、プログラムで感じたり考えたりしたことを日誌に書いていきました。
リワークで偶然出会うこととなったメンバーと、プログラムでともに考え、作業し、交流を積み重ねていきました。
昼休みには、皆で机を囲み、家から持ってきたお弁当や、買ってきたお昼ご飯を前にして、一緒に食べて、話しました。
映画を皆で鑑賞し、感想を話し合いました。
卓球に汗を流し、珍プレー好プレーに、大笑いしました。
皆で準備をしてBBQに出かけ、舌鼓を打ちました。
一日一日、一つ一つのプログラムを、卒業していかれた4人のメンバーは積み重ねてきました。
こうした時間の積み重ねの中で、苦しい胸の内を打ち明け、それを相談し、一緒に考える時間を持たれました。
振り返ってみて思うのは、卒業された4人にとって、リワークとは生活の一部であり、リワークは生活そのものだったのだろう、ということです。
リワークと、そこで出会った人たちとの時間を、とても大事なものと感じておられました。
だから、メンバーともスタッフとも深い情緒的な関係を持てたのだし、ある種の家族的な繋がりを持たれていたように思います。
4人が見事に復職を果たされたことへの喜びと同時に、非常に深い繋がりをリワークで持たれたが故の、お別れの寂しさと、喪失感も感じていたことだろうと思います。
卒業された4人もそうですし、4人を送り出した現メンバーも、そうでしょう。
私たちスタッフも、また、そうです。
4人の方が、休職の期間、リワークにこうして真摯に参加して、これだけ深い繋がりを持たれたことは、きっと今後の復職にとっても、大げさに言えば、人生にとっても、大事な体験になると、私は信じます。
これからも在籍メンバーもスタッフも、「Aさん、Bさん、Cさん、Dさん、今頃どうしているだろうか? 元気にやっているかな」と4人の卒業生の方のことを思い出しては、想うでしょう。
卒業された4人の方も、職場で、「リワークで今、同じように悩みながらも、復職に向けて取り組んでいるリワークの皆がいるんだな」と思い出してもらえたらと思います。
たとえ物理的には一緒の場所にいなくても、そういう心の中での繋がりが出来たことは、4人の方を強く支えてくれると思いますし、休職中に成し遂げた、素晴らしい仕事の達成だと思います。
ご卒業と復職、おめでとうございました。
4人の方の健闘を、リワークルームから祈っています。