連休中、学生時代の友人から連絡がありました。もう20年以上会っていなかった友人です。遠路はるばる、関西に来て熊野詣をしているので、連休どこかで会わないかとのお誘いでした。最初は、少し足を延ばせばいい場所で、食事をしようか・・・と話していたのですが、彼女の旅の行程を聴くと、今も変わらぬロマン溢れる彼女の自由な空気に心引き出されるように、玉置神社に私も行ってみたくなりました。何度も素通りしながら立ち寄ってみたことがなかったのです。自分も行くと決めて、何時間もかかるドライブにでかけました。十津川の山々は紅葉で美しく、久しぶりに現実の生活から心底離れてリフレッシュできた気持ちになりました。その道のりは対向車を避ける幅がなく、傾斜もきつく、途中で本当にこの道で間違いなく着くのか心配になってくるようなハードルの高いものでした。待ち人がなければ、引き返していたかもしれません。しかし、だれかが、そこで待っていてくれるということは、何かに踏み出す勇気を与えてくれるものだな・・・と、つくづく感じた体験でした。

 そしてもう一つ、気づいた体験がありました。私は、彼女がバスを乗り継いで旅をしていると思い込んでいました。玉置神社から町へ出る車中で何時間もゆっくり話せるだろうと、それも待ち合わせ場所をその神社に決めた理由だったのですが、着いてみてびっくり!彼女も自家用車で旅をしていたのでした。彼女は私がバスで来ると考えていたのです。お互い大笑いです。二人でお参りした後、予約していた町の食堂まで、それぞれ何時間も話ができないまま、紅葉の見えなくなった暗い山道を延々車をただ連ねて走りました。

 車中では学生時代の彼女とのやりとりを思い出しながら、あのころも互いに相手に気遣ったつもりが、無駄足になって「なんだ~!早くいってよ!」「そっちこそ!」なんて話になることもあったなあ・・・と、不器用なやりとりを思い出します。

 こんなにズレズレなのに、学生のころは何かそれも互いの見えていない想いを受け取り合える関係性でつながれていたのだなあと懐かしく感じました。仕事ではこりゃだめだな・・・と彼女と別れてから、「やっぱり自分のことも、相手のことももっと丁寧に伝え合わなきゃな・・・。」とまた長い一人の車中、現実に自分を引き戻しつつ帰りました。

相対する人の存在についていろいろ感じることのできた連休でした。

皆さんの連休中、心動いた出来事についても聴いてみたいなと思います。