みなさんは自分とは何かを一言で言い表せられますか?

私自身、自分を振り返った時に様々な自分に出会います。

仕事上の役割の自分、家庭の中での自分、趣味仲間の前での自分…。

どれも自分なのですが、家族の前で友達の前での自分を出したり、趣味仲間の前で母や娘としての自分を出したりするのは憚れてしまいます。

でも、仕事上の役割の場合はどうでしょう?

 

話は変わるのですが、皆さんは新世紀エヴァンゲリオンをご存知でしょうか?

内容は中学2年生の子ども達が使徒と呼ばれる未知の存在と戦う話ですが、今回はこのアニメの話の中で出てくるMAGIシステムというプログラムが興味深く感じたのでお話したいです。

MAGIシステムは一人の女性博士が自身の<研究者としての側面><母としての側面><女性としての側面>をプログラム化して、問題発生時に多角的な視点からどんな解決方法が適切かを判断できるように作られたAIシステムです。

ストーリー内では開発した博士自身はすでに死去しており、その娘がプログラムを引き継いで管理し、このシステムによって敵からの攻撃のタイミングを予想して防衛したり、自分からの攻撃を成功させたりと主人公たちの活躍を裏で支えています。

しかし、博士の娘が組織の中での立場に困窮し、組織のトップと対峙した際にMAGIシステムを起動して組織のトップを倒そうとしますが、逆に自分がMAGIから攻撃を受けてしまいます。

その時にMAGIは母としての側面でなく、違う側面で判断を下したと娘は考え悲しみます。

見方によれば母として今後も希望がない世界に娘を残しておくのが辛かったとも考えられなくはないですが、どちらにせよそのような結果となってしまいます。

 

自分が持っている側面を適切に切り替えないと取り返しのつかないことになる可能性がある、と私はアニメを見ている当時、強烈に印象に残りました。

その一方で、私も時々、ふと場面にそぐわない側面が出ることがあります。

それは仕事の側面の自分です。

自分の子どもと接する時、友人と会話する時、どこか第三者視点で相手を観察して仕事の中で扱うように接してしまうことがあります。

対等な関係であるはずなのに、どこか距離を置き、感情と切り離して接っしていると気がついた時に自分でも「不健全だなぁ」と反省してしまいます。

仕事上の自分を表に出すことを選ぶというのは、その職に対するステレオタイプのようなものがあって、行う思考や態度がある程度決まっているため楽なのかもしれません。

みなさんもいつの間にか職場での役割の自分が違う場面でも顔を出している時はないでしょうか?

もし、そのような場面に気がついたら自分の本質は何なのだろうかと立ち止まって考えてみるのもいいかもしれません。