リワークでは、自分の本当の気持ちや思いがどういうものなのかを知ることの意義を学んでいます。
そして、それがとても難しいことも、同時に。
休職前の辛かったときのことを思い出してみてください。心の中に様々な感情が湧き上がっていたことでしょう。
「仕事が片付かない。もう自分の力では無理だ」
「上司のわたしに対する態度が嫌だ。なんでいつも厳しい言い方ばかりするんだ」
「なぜあの人は評価されるのに、わたしは同じだけやっていても、認めてくれないんだ。蔑ろにされている。」
「わたしのことをわかってくれる人は、この職場に誰もいない。ひとりぼっちで寂しい。」
「もうわたしなんて、何をやってもダメだ。どれだけ頑張ったって、わたしなんて、ダメなんだ……」
私たちを苦しませる感情は、ネガティヴな感情といわれます。そうしたネガティヴな感情を生んでいる考えにも、私たちは苦しみます。
ネガティヴな感情は、扱いかねることが多いことでしょう。
ある人に非常に怒りを感じていたとして、しかし、この怒りを加工しないままに直接相手にぶつけたら、当然相手もそれ相応の反応を寄越し、二人の関係は破壊されてしまうかもしれません。そういうことがわかるので、私たちは怒りを相手に直接ぶつけることを恐れるでしょう。それを避ける訳です。
しかし、この怒りはどこに行くのでしょうか。
時間が経てば薄れていくかもしれません。その人と接触しなければ、怒りも感じないかもしれません。
しかし、その人とは今後も顔を合わせなくてはいけないとなったらどうしましょうか。仕事の上司や同僚は、そういうものです。
怒りは消化されないままに、心の中で私たちを常に脅かし、その発露を窺うことでしょう。それが相手に向けられない場合は、その矛先を自分自身に向け換えるかもしれません。
怒りだけでなく、落胆、失望、嫉妬、羨望、孤立感といったかなり性質のはっきりした感情から、不安というその正体がはっきりとは知られない感情体験まで、ネガティヴな感情は、それが手に負えないがゆえに、私たちの心身の安定を脅かします。
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リワークに参加しているメンバーは、そういう感情に苛まれたときに、ホームワークを書いて、自分を客観視する作業をされるかもしれません。ホームワークでは、自分が不安や動揺したときに何を考えていたかを振り返ります。そして、その考えに対して、内なるもう一人の自分が向かい合い、検討を開始します。
すると、ネガティヴな感情に支配されていたときは、極端な考え方や思い込みをしていたことに、気付くかもしれません。こういう別の見方や考え方もあるのではないか、ということに気付くかもしれない。客観的事実的な確認も実施しながら、このように、内なるディスカッション(自己内対話)をホームワークでは試みます。その結果、最初の考えとは違った、もう少しバランスの取れた見方が創造できることが期待されるのです。
このようなホームワークの作業はとても大事です。しかしその一方で、強調しておきたいことがあります。
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私たちが最初に体験していたネガティヴな感情や体験(ホームワークの言葉でいえば、自動思考にあたるでしょう)を、過小評価しないでもらいたい、ということです。ネガティヴな感情や思考(例えば、特定の他者や自己に向けられた「怒り」や「嫉妬」、「失望」、「落胆」、そして「不安」)を、「こんな嫌なことに関わっていたら、しんどいだけだ」として、「考えないようにしておこう」と軽くみなしたり、「私の認知が歪んでいる」の一言で片付けてしまわないことです。むしろ、このように「ネガティヴ」とさえる心の体験こそが、自分自身を知る貴重な機会を与えてくれます。
「なぜ自分は、この状況に、あるいはこの相手に、こんなに苛立っているのだろう。怒っているんだろう。嫉妬しているんだろう。不安なんだろう。罪悪感があるのだろう」
こういう問いを軽んじないで、大事にして、それをリワークの中で考えましょう。
そうしたネガティヴな体験をしている私たちの心は、これまでまともに相手にもされず(つまり、考えてもらえず)、その存在も直視されず、手を付けないままに、放置されてきた部分です。
でも、その部分はそうやって今まで放置され続けてきたからこそ、休職に象徴されるような心身の危機として、私たちにその存在を訴えかけてきているのです。
苦しいからといって、すぐにネガティヴな体験に目を閉ざさないで、それを見てみましょう。確かにそれは苦しいはずです。でも、休職してリワークに通っている方なら、それが出来るチャンスがあります。
なぜなら、リワークはそういうことに取り組む場所だからです。自分のネガティヴな体験をどう扱っていいかわからずに、休職に至り、苦しんでいる方たちが集っている場所だからです。その手伝いをするために、私たち病院のスタッフもいるからです。
リワークメンバーにとって、その作業の手掛りとなる体験は、リワークの中で起こっていることです。
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グループセラピーというプログラムは、そういう取り組みをしているプログラムなのです。リワークで日々体験していることを手掛りに、あるリワークメンバーに対しての思いや、スタッフへの思いを、当事者同士で考えることができたら。それは怖くて不安な作業でしょうが、当事者で真剣に考えた体験によって、その相手との関係が壊れることなく、新しい性質を持った関係へと変化したら。
復職に向けて「自分が変化すること」という言い方は、リワークでもよく話題となります。ここでいう変化とは、魔法がかかったようなスーパーマンになることでも、仕事が出来る人間になることでも、苦しみがなくなることでもありません。
私たちのリワークでいう「変化」とは、これまでほとんど扱われないままにきてしまった自己のネガティヴな体験にリワークの中で目を向けることから始まります。それまでおののいているしかなかったネガティヴな自分を直視することから始まるのです。
そして、不安を感じながらも、グループセラピーやリワーク内での対話のなかで、それを当事者で考え合い、考えあえたという関係を持つこと出来ること。それが、変化なのです。
リワークの中で悩むことは、だからそれだけで意義があります。しかしその悩みは、しっかりとつかまえてあげる必要があります。
怖いからといって無視してしまったり、怒りや泣き叫びのような感情の発露だけで終わってしまっては、大事なネガティヴな体験は成長につながらないでしょう。
ネガティヴな体験は、真剣に考えてもらえる機会を、ずっと待っているのです。