リワークを利用された患者様の感想[2022年9月~2023年8月]
- T.T.さん(リワーク在籍期間:150日)
- Y.K.さん(リワーク在籍期間:361日)
- U.J.さん(リワーク在籍期間:403日)
- M.S.さん(リワーク在籍期間:129日)
- T.T.さん(リワーク在籍期間:123日)
- S.Y.さん(リワーク在籍期間:320日)
- I.E.さん(リワーク在籍期間:362日)
- I.Y.さん(リワーク在籍期間:390日)
- K.Y.さん(リワーク在籍期間:416日)
- O.T.さん(リワーク在籍期間:341日)
- M.S.さん(リワーク在籍期間:257日)
- F.S.さん(リワーク在籍期間:214日)
- U.S.さん(リワーク在籍期間:241日)
- N.J.さん(リワーク在籍期間:369日)
- M.S.さん(リワーク在籍期間:309日)
- K.S.さん(リワーク在籍期間:96日)
- A.S.さん(リワーク在籍期間:73日)
- Y.H.さん(リワーク在籍期間:386日)
- O.T.さん(リワーク在籍期間:168日)
T.T.さん(リワーク在籍期間:150日)
『リワークへの参加を振り返って』
- 0. 私の属性について
- 私は民間金融機関で顧客管理の事務企画を担当している昭和40年代生まれの男性です。東京都出身、転勤で大阪府に異動して約10年、妻と2人で大阪市内の社宅に住んでいます。私が職場を休職したのは2021.2です。私の復職へのモチベーションは大好きなアイドルを応援するためにお金を稼ぐことでした。応援をするには相応の経費がかかり、早く復職して給料、ボーナスを満額もらって堂々と応援したいと考えていました。
- 1. リワークへの参加について
- 2022.3.28から2022.8.24までリワークに参加しました。リワークに参加する前の私は家からあまり外出せず、好きな時間に起きて、好きな時間に寝て、好きな時間に仮眠を取り、好きな趣味のことだけをやり、それ以外は一日中スマートフォンで無駄にネットサーフィンをする日々が続いていました。3週間に1回の主治医への通院と2ヶ月に1回の産業医との面談は行っていました。そのような日々が約1年続きました。
2022.2休職が会社所定の期間を過ぎたため、給料、ボーナスが大幅減額になりました。これでは金銭的に自分の趣味が堂々と楽しめないと思いました。また妻や両親の心配を無くすためにも、そろそろ復職しないといけないのではないかと漠然と考えるようになりました。リワークに参加した理由は職場の産業医が「そろそろ復職しなさい。復職をしないのであればリワークにでも通いなさい。」と指し示されたからです。自宅から通うのが近いリワークをインターネットで検索し、最も近いCRESSを選びました。非常に消極的な意識での参加でした。 - 2. リワーク初日と最初の2ヶ月間の状況について
- リワークの初日は映画鑑賞会で自分があまり興味の無い映画を見せられ、想定していなかった自己紹介をメンバー全体の前でさせられたと感じ、今後、自分はこのリワークで本当にやっていけるのか疑問と不安を持ったことを覚えています。
リワーク参加当初の私は生活リズムが安定せず、気分・体調も(10)~(30)の日がほとんどでした。朝夕の混雑した地下鉄に乗るのが苦痛、プログラムを担当する先生方のお名前・リワークに参加しているメンバーの名前も覚えられず、講義プログラムでは内容が分からず、発言を求められる局面では自分の意見が上手く言語化できず、提出物も適当に書いて誤魔化したり提出を放棄したりするような日々が2ヶ月程続きました。
このようにリワーク参加当初の私は毎日参加するので精一杯で、卒業や復職のイメージは全く持てませんでした。幸い体調が低調ながらも出席率は良好でした。この時期の5.13付のリワーク報告書には、プログラムに真面目な姿勢で取り組んでいて、規則正しい生活は出来ているが、もっと心の部分や自分を振り返る事が不足しているので、もう暫くリワークへの参加が望ましい旨の記述がありました。
これまで産業医は毎回、面談の際に早期の復職を勧められてこられましたが、この報告書をご覧になった産業医からは「復職」の言葉が一切消えました。「当面リワークに続けて通って下さい。主治医の復職が可能である旨の診断書が出るまで復職は待ちましょう。」と言われる状況になりました。産業医が私の復職をすることを引き留めることになったと感じました。産業医から見放されたと悲観的な気持ちになりました。さらに、報告書をご覧になった主治医が「リワークを卒業するまで復職可能な旨の診断書は書かない。」と言われました。リワークには明確な卒業の基準が存在しませんが、当時の私はそのことを主治医に上手く説明できませんでした。
「①主治医はリワークを卒業するまで復職はできないと言われる→②しかしリワークの卒業の明確な基準も無い」と①と②の間の終わりの無い無限ループに私は嵌ったと思い込みました。しばらくこの葛藤の時期が続きました。しかし、リワークに毎日参加し続けるうちに自然と歯車が良い方向に回りだしました。 - 3. リワークに参加して3ヶ月目の状況について
- リワークに参加して3ヶ月目頃から私の気持ちや体調面の変化を実感できました。朝夕の混雑した地下鉄に平常心で乗れる、リワークに参加した日は良く眠れる、リワークに1週間参加した金曜日や週末が楽しみと感じられる、少しずつ先生方のお名前・リワーク参加メンバーの名前が覚えられる、講義プログラムの内容が分かる、分からないところは質問ができる、自分の意見や考えを言語化できる、提出物の趣旨が理解できて適切に記入ができる等の変化があったのです。
何が自分にとってのブレイクスルーだったのかはわかりませんが、規則正しい生活を行うことや他者とのコミュニケーションの中で活動量が増えて徐々に健康であった時の自分の体調に近づいたのかと思います。そして気分・体調も(50)で安定しました。この頃になると復職のためにリワークで私が何を課題や目標にするべきかおぼろげに分かってきました。ここに箇条書きします。
① 規則正しい生活を実践する。
② 自分が休職に至った理由を十分に分析、検討する。
③ プログラムを通じて再休職しないためのスキルを獲得する。
④ 自分の考え、意見を言語化する。
⑤ 他者との交流の中で対人対応力を強化する。
⑥ 小さな成功体験を積み重ねて自信を手にする。 - 4. 自分自身との対峙について
- リワークに参加して、プログラムやメンバーとの交流の中で自分自身について向き合う機会がたくさんありました。今までこのようなことを考えることは時間の無駄で不毛な議論だと考えていました。リワークでの自分自身についての気づきの一部を紹介します。
① 生活記録表を書くことが大変苦痛である。私は良識ある大人で、細かく自分の行動を監視されているようで不快である。→気分・体調は数値化、統計化することで自分の体調の変動が客観的に分析できる。今、自分がどこの位置にいるかが分かる。
② 自分に厳しく、他人にも厳しくすることがモットーである。自分ができるのだから、他人もできて当然だと考える。→認知の歪みである。自分ができることを他人ができるとは限らない。他人ができることを自分ができるとも限らない。
③ 成果物の完成度は常に10割を目指すべきである。→ 認知の歪みである。完成度は7割、8割程度でも十分に通用する。10割を目指すことで自分にも関係者にも無理がかかる。
④ リワークのプログラム内での沈黙が苦痛である。せっかくお金を支払って参加しているのだから勿体無い。→そもそも自分がせっかちである。空気を読んで「間」や「余韻」を大切にする必要がある。プログラム内の沈黙は各メンバーが自問自答する大切な時間でもある。 - 5. 復職へのステップについて
- 2022.7復職を意識する出来事がありました。産業医の「そろそろ復職したらどうか。」との言葉です。ちょうど休職が長引いて会社の規定で給料が支給停止となり、社会保険等を控除すると給料の差引支給額がマイナスとなっていて、「これは本当にまずい」と崖っぷちに立たされた気持ちになっていた時でもありました。思い立ったら直ぐに主治医、産業医、所属長、人事部担当者とアポイントメントを取り会社で定められた復職に向けた手順を進めました。
CRESSにおける私の担当心理士は樽井先生です。私がこちらに来た3.28から何度も真摯に相談にのっていただきました。意見の相違する箇所もありましたが、最終的に先生は私が復職に際して必要であると表明している唯一無二の条件、「規則正しい生活ができてプログラムに集中して参加していること」を尊重して全面的にサポートする旨の方向性を示していただきました。
7.15付のリワーク報告書には、復職後に業務に集中して取り組むための体力が回復している。プログラムや課題に真剣に取り組んでいる。きちんと自分の意見を発言している等という評価をいただきました。
一方、リワークが心の葛藤をする場でもあり、他のメンバーと信頼関係を築く等の課題が残っているとの指摘をいただきました。報告書の記載内容(特にSSTに積極的に参加したこと)が主治医の好印象につながりました。リワークで学んだ自分の考えを明確に言語化するスキルのおかげで、私の会話が「力強く理路整然としている」との評価をしていただきました。リワークには明確な卒業の基準は無く、復職が決まった段階が卒業である旨の説明もできました。主治医に快く復職可能である旨の診断書を書いていただけました。産業医の復職面談での問診も自分の現状や復職意志を明確に表明することができました。そして産業医が会社あてに復職可能である旨の意見書を書いてくださいました。主治医・産業医を無事に説得できたことにより復職に向けたステップが一気に進みました。その後に続いた所属長、人事部担当者との三者面談もしっかりと自分の復職意志を表明することができました。
2022.8.1に面談を実施したその場で復職日が8.25であると内定しました。リワークにおける卒業が決定した瞬間でした。 - 6. リワークでの成果について
- 私は会社の出世レースに遅れ、仕事も干されたと感じて、腐って、不眠が悪化したのをきっかけに病になりました。様々な体調不良も重なり、将来に悲観、絶望していました。
リワークでの最大の発見は自分が休職に至った原因が分かったことです。それは、5歳年下の直属の上司に職場での苦しい状況をプライドが許さず相談できなかったことです。リワークでのその他の成果も箇条書きします。
① 個々の境遇はそれぞれ違いながらも、休職からの復職・転職を目指すという同じような目標を持ったメンバーと出会い、悩みや苦しみを共有できたこと。
② リワークの先生方やリワークのメンバーと真剣に会話をする習慣ができたので、リワーク外での他者とのコミュニケーション力が飛躍的に向上したこと。
③ リワークのメンバーとの交流により運動をすることの重要性、自分を大切に扱う健康維持への関心が高まり、それを実践できるようになったこと。 - 7. リワーク関係者への感謝について
- 先生方、看護師の方、スタッフの方にはこのような素晴らしい体験ができる場所を提供していただき大変感謝しています。先生方には私に場の雰囲気にそぐわない意見が多々あったことで大変ご迷惑をおかけし申し訳ありませんでした。リワークのメンバーにも大変感謝しています。プログラムの時間内外でいただいた忌憚の無い率直な意見や考えは私の今後の人生の指針にもなることでしょう。リワークに通ってまだ右も左も分からない私に優しく話しかけてくれた隣の席だった方、昼休みに楽しい雑談をしてくれた方、グループセラピーで私と真剣に議論をしてくれた方、SSTで共演してくれた方、私の朝の一言や個人プレゼンテーションに反応してくれた方、たくさんの感謝でいっぱいです。また私が発言することで不安や嫌悪感等様々な負の感情をいだかせてしまったことがあったかもしれません。深くお詫びします。
- 8. 妻と両親への感謝について
- 私の妻には大変助けられました。我が家は2人世帯です。私が休職している間も妻は石川県金沢市の老人施設に暮らす余命宣告をされた95歳の義父を介護しながら家事全般を引き受けてくました。何もやる気が無く家でダラダラと過ごしていた私に寛大に接してくれました。これからは恩返しをしたいと思います。また両親にも感謝しています。特に何か声をかけてくれることはありませんでしたが、それは気を使ってのことだったと思っています。私が休職して給料が減額になり、生活が困窮するのを心配してか、毎月、私と妻に小遣いをくれました。耐久消費財が壊れた際の買い換え時の資金も援助してくれました。これから親孝行もしたいと思います。
- 9. 会社関係者への感謝
- リワークに参加する前の私は「会社が私から業務を取り上げた。仕事が無いことを口実に会社が私を解雇しようとしている。」と勝手に被害妄想を抱いていました。しかし、事実は私がきちんと直属の上司に業務量の相談ができていなかったこと、そして、会社は就業規則を適正に運用し、私に休職の機会を与えてくれていたことに気づきました。会社の諸制度、元直属の上司に今は大変感謝しています。また、月に1回、給料明細や事務連絡を郵送してくださった所属の総務係長のO女史にも大変感謝しています。そして、休職前はマンツーマンで一緒に業務をしていたパートナーのTさん。業務連絡は極めて緊密であったのに、自分の悩みや体調異変を話せず、何の前触れもなく突然休職をした私を許してくれてありがとう。
- 10. アイドルAちゃんへの感謝について
- アイドルのAちゃんとは2017.2名古屋の某イベントで初めて出会いました。素敵な笑顔と歌声、優しい人柄に惹かれてすぐにファンになりました。Aちゃんにはたくさん癒されました。Aちゃんを応援することは私の生き甲斐になり、私は彼女に素晴らしい景色を何度も見せてもらいました。私はAちゃんを金銭的、精神的理由で十分に応援できなかった時期もありましたが、病気の私が復活する原動力は、常に、彼女に会いに行けるようになることでした。Aちゃんありがとう。
- 11. 復職の具体的な予定について
- 私が復職する職場は休職前に在籍していた所属で、担当する業務は休職前と同じ業務です。私が休職する時点の直属の上司は他部門へ異動となっており、新しい上司との再始動となります。新しい直属の上司もやはり年下です。面談した際の人柄やメールでのやり取りも好印象だったので安心しています。新しい直属の上司は私が復職するに際しての時短勤務等を含んだ「復職支援プログラム」を策定してくださいました。新しい直属の上司とはしっかりとコミュニケーションを取りながら再休職しないように頑張ることを決意したところです。
- 12. これからの展望について
- 今も主治医への通院・投薬は継続しており、私の病状は完全な寛解とは言えません。今後も家族や職場に迷惑をかけるのを承知で、少し自己中心的、許される範囲での適当、いい加減さを実践して生きてゆきたいと思います。最後になりましたがリワークの自己分析のプログラムの中で特に印象的だったものに「10年後の私」というものがあります。10年後の私はリワークで学んだスキルのおかげで病気が再発せずに寛解していることを期待しています。何の業務であれ社会とつながりを持てていられたら嬉しいです。そしてさらにその先の私は公的年金の受給開始年齢に達するまで頑張り続けられていられるのであればなお嬉しいです。長文にお付き合いいただき誠にありがとうございました。
Y.K.さん(リワーク在籍期間:361日)
『リワーク卒業』
リワークプログラムCRESS参加の経緯は、私が入院していた病院の紹介でした。入院の経緯は、会社内の部署異動でした。仕事内容は今まで20数年やってきた仕事と正反対の仕事で実は私にとってこれでもかというくらい苦手なことをしなければいけない部署でした。新設部署の課長は週休を1日返上するくらいの仕事人間で相談のできる人ではなかったです。私は2ヶ月ほぼ眠れずその時通院していた心療内科からすぐに休職しなさいという診断書がでて休むことになりました。過去10年ほぼ無休だった私には理解ができず、全く眠れなくなった私は大きな怪我を負い救急病院に入院しました。回復に伴い転院となり退院を迎えましたが、すぐに復職できる体力と心の力はなく入院している病院にもリワークがありましたが、通院できる距離ではなかったので自宅と実家に近いCRESSへの参加となりました。
退院から1ヶ月、休職から半年たった10月、数回の面談を経て私のリワークはスタートしました。退院後の体力は握力が15kg以下、屈伸をする事すらできず、心も壊れていました。新メンバーである私にやさしく声を掛けて下さるメンバーさんを見てその時の私は健康的にしか見えず、なぜこんな元気な人達がリワークに来ているのだろうと感じました。この時は先が見えない状態で何とか出席だけしている感じでした。
セルフチェック、グループセラピー、個人プレゼン、熱の入ったグループ作業、日直の一言でメンバーさんの事が少しずつわかってきて健康的に見えたメンバーさんも実は私と同じような悩みを抱えているのだと気づき少しずつリワークに取り組めるようになりました。日々の日報に正直な気持ちを書けるようになり、自発的にリワークに参加できメンバーさんと交流がもてるようになり、体調面でも回復してきました。
同時期を過ごしたメンバーさんが次々と卒業していかれ復職をしなければとあせっていた頃、北岡先生との個別相談で月ごとの人事部との連絡の際に「自分が戻りたい場所について明確な意思を伝えるべきだ」と言われました。次の連絡の時には「現在の部署には戻れない」という事と「通院、通勤ストレスの関係で近くの勤務地にして欲しい」という事を伝えることができ恐らく私の希望通りになるであろうという答えを得ることができました。
当たり前の事ができていなかった私に気づけた事により、復職が現実的なものとなり、そこからは復職を意識しての参加ができるようになり、卒業を迎えることができました。
今回の休職は振り返ってみても回避することは不可能だったと思いますし、心療内科や家族に相談しても自分の中で解決しようとして間違った選択をいつかはしていたと思います。
ただ、リワークに参加させていただいて1年、考えてみると上司も追い詰められていただろうし、できない事を声を上げずに突然仕事を放り投げるようなことをしてしまったと自覚できるようになり、妻や両親、メンバーさん、和田先生、北岡先生、スタッフの方々のおかげでここまで戻ってくることができたと感謝しております。
もし、同じことが起きても同じ選択肢を選ぶことはなく、うまくやれるだろうという自信をもって復職します。
最後に、これを手に取り読んでいる1年後の自分に
「マイペースで頑張れ 感謝の気持ちを忘れるな」
お世話になった先生方、そして関わっていただいたメンバーの皆さん、本当にありがとうございました。
U.J.さん(リワーク在籍期間:403日)
『CRESS 卒業』
私は、1年1ヶ月リワーク(CRESS)に参加しました。思えば、1年前までは、短く感じていた年でしたが、これ程長く1年を過ごした月日はありませんでした。「真剣に自分と向き合っていた」からだと思います。とても大事な、大切な日々でした。
私は、3度目の休職です。2度目だと思っていましたが、10年前に3ヶ月ほど休職していました。きっとその当時は、休職した事実も認めていなかったのだと思います。
2年前に2回目の休職(1年間)があり、復職をしましたが昨年の4月に人事異動で、経験がない部署に配属し、慣れない環境で休職(3回目)となります。休職して体力が回復していた時その当時の先生から、リワーク(CRESS)を勧められ、自分で検索し、電話をしました。半信半疑でその扉を開けたのです。
今でも覚えています。緊張するあまり躊躇をして、1週間かかり、扉をあけました。
入った時、明るい声であいさつをしていただき、案内して頂いた日は、忘れることはありません。
この日から新たなスタートだったと思います。
気持ちが少し楽に感じたのは、メンバーの皆さんの名前と顔が認知できた事、声をかけて下さったなどリワークのメンバーとして実感できた日からでした。
最初に自分の知らない「何か」を感じました。それは、グループセラピーで、「何も言えない自分」を感じたからです。
すかさず、北岡先生から「今、自分と向き合っていますからね」と言葉をかけてくださいました。
私は、涙が止まらないまま、自宅へと足を運びました。その夜は寝付けなかった事を思い出します。翌日、リワークへ参加し、メンバーの方に昨日あった気持ちを話したところ「喜怒哀楽の内どれなんかな?」とその時は「怒りだと。自分への怒り」と話したことを思い出します。それが自分の「感情」なんだと知りました。
そのころから自分への無頓着から真剣に向き合う姿勢を取りました。
次に、過去の自分と対面です。10年前の休職したことを思い出しました。それがグループ作業の班長への立候補です。
何気なく思い出した過去は、心に重い蓋をしていたのかもしれません。
眞田先生へ相談をし、眞田先生から「挑戦をしましょう。」と声をかけていただき覚悟を決めて挑戦をしました。それから苦痛の連続です。困っている事さえ伝えられない自分です。しかし、リワークへの参加の足は止めませんでした。なぜか、メンバーの皆さんが居てくれたからです。自分と葛藤している悩みも相談しました。真剣に耳を傾け、一緒に考えてくれました。
「一人ではなかった」と、心からそう思っています。本当にありがとうございます。
次は、復職への想いです。復職への気持ちが揺さぶられた日がありました。まるで絶壁に立っている、足元の先が見えない時期です。どうすればいいのか?考えました。SSTの主人公をしていなかったので挑戦することで、何かが分かるのかもと。フィードバックは思っていた事とは違う結果でした。
「伝えたい事を隠している」「素直な気持ちを言えていない」「隠そうとしている」
本当にそうなんだろうか?と今までの日報を確認しました。その日報には、素直なその時の感情を書いていたことに気づき、目標に「素直な気持ちを伝える」を立てました。
次は、グループ作業のリーダーです。自分が立候補する気持ちになるとは思いませんでした。そこでは、挑戦したい。自分への挑戦をしたい。自分と向き合いたい。これまで真剣に取組んできたことを無駄にしたくない。それは、休職を二度としたくない。その思いでした。メンバーの方にその事を伝え、背中を押してくれました。また、卒業されたメンバーの方に「もう一度挑戦してください。」と仰って頂いた言葉は忘れていません。
グループ作業では、ある一言を言ったことで自分への感情がありました。それは“分断をしている”と言った言葉です。その時「寂しさ」を感じました。言えたのに伝わっていないのではないかと。その後のグループセラピーで「Uさんの気持ちがわからない」「気持ちを聞きたい」と伝えられ、「一緒に考えていきたい」と私は、嬉しさと同時に「自分にまた蓋を閉じ込めてしまった」事を今でも覚えています。自分の素直な気持ちを伝えられない難しさを今でも感じ考えています。「なぜそう思うのか?」その殻を少しずつでも良いので自分から助けを出し、崩していこうと思います。課題はまだまだ残ったままです。しかし、このリワークで成し遂げた事があります。それは、「挑戦」をしたことで、一言“分断をしている”本心を本音で言えたことです。
「何も言えなかった」自分が「言えたこと」それが、復職する気持ちに繋がったと思います。
長く険しかった1年1ヶ月が経ったこれからは、不安はありますが、自分を信じて卒業をします。
沢山のメンバーの皆さまに出会えた事、先生方、本当に関わりを持っていただきありがとうございます。
M.S.さん(リワーク在籍期間:129日)
『リワーク卒業文集』
6月中旬あたりから3度目の休職をして、8月中旬から和田先生の勧めで、CRESSでのリワークを始めることになりました。リワーク自体は2回目の休職のタイミングで地元岡山の施設で参加した事がありますが、その時と比べて、プログラムがみっちり仕込まれていて、提出物も多く、何より自分の苦手なコミュニケーションに重きを置いた内容で事前説明の段階で気の重たくなる感じがして、本当にここでやっていけるか不安でした。実際にリワークに参加した後も週1回か2回欠席する事もあり、スタッフやメンバーの皆さんに心配と迷惑をかけてしまったと思います。卒業する最後までCRESSのプログラムの苦手意識は払拭できませんでした。自分を見つめ直して、変わっていく、リワークの主旨は頭では理解出来るものの、それを実行する所まではいたらなかったと思います。
ここまでCRESSのリワークに対してネガティブな事しか書いていませんが、全てのプログラムが嫌だったという訳でもなく、そのプログラムを通してメンバーの皆さんとの交流が出来た事は楽しく良かったと思います。ディスカッション形式のプログラムは苦手だったものの、何かしら発表する機会をいただき、それに対し皆さんからのフィードバックや感想をいただいた時は嬉しかったです。プログラムでの発表を通し、自己開示が出来た時は、休み時間の皆さんとの会話でその事をとりあげていただき、話がはずんだ事も良い思い出です。復職に向かっている今、不安はまだあるものの、メンバーの皆さんからの暖かい言葉をいただき勇気づけられ、前向きになる事ができました。
4ヶ月と少し短い期間で、楽しい事も苦しい事も含めて濃密な日々を過ごす事ができました。ここでの体験で自身に大きな変化はないように感じますが、以前より自分の弱さを認める事ができて、今はそれにどう向きあうかを考えているような感じです。今まで出来なかった人を頼る事も少しずつやっていけたらと思っています。優しくしていただいたメンバーの皆さん、先生方、スタッフの方、いろいろな体験をさせていただき本当にありがとうございました。
T.T.さん(リワーク在籍期間:123日)
『卒業文集』
ACDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZ
突然こんな文字列の書き出しで、「?」と、思われたでしょうか。この文字列は、ある一つの単語を意味しています。
その単語は、これからの私に、リワークプログラムCRESSで関わってきたメンバーやスタッフのみなさんに、そして、今これを手に取って読んでくださっているあなたに、今の私からおくりたいものなのです。
本文の最後に、その言葉をあらためて記します。ですが、その答えの前に、長くなりますが、卒業を迎えた私が今なにを思っているのか、少し書いてみましたので、しばしお付き合いください。
私は、2022年の7月初頭に休職しました。以来、8月の半ばまでの一月と少しの間は、なんとなく静養しているような、心身を休めているような、そんなふうに過ごし、そしてそれから復職しようとしました。そのときの私の状態として、心身は静養によって回復して、仕事に復帰できそうなくらいには落ち着きつつあったという認識でしたし、なにより、経済的事情やキャリア面の心配もあって、これ以上は休職してはおられない、という状況への焦りもありました。しかし、同時に、これまでで再発を繰り返してしまっている以上、復帰後にまた再発する、ということをおそれていました。自分が復帰を焦っているという自覚もあり、その焦りから「もう戻れる」というバイアスが働いていないか、などと、すぐに復職することについてリスクも感じてきました。ですから、リワークプログラムCRESSを薦められたとき、内心ではその場で即座に参加を決心しました。そして、手続きを進めていきました。CRESSへの参加は9月の終わり近くになりました。参加開始にあたり、復職を、プログラムを一通り実施する期間としての3ヶ月で、2022年内にやりきらなければならない、と強く思っていました。それは、プログラムが順調でなかったとしても、です。そこには、現実的な問題、特に、経済的事情がどんどん切迫してきている、という実感が大きく作用しています。
そして、参加していったわけですが、参加当初は、スムーズとはとうてい言えませんでした。特に、メンバーとのコミュニケーションに於いて。私の焦りは、そして、私の前のめりな面もある熱意は、しばしば空回りして、メンバーとの軋轢を生じせしめました。私からのファーストコンタクトが拙かったこともあって関係性がギクシャクしてしまったメンバーもおられました。メンバーとの関係性を構築していく、という点で言えば、入りはかなり悪かった、としかいいようがなかったでしょう。
ですが、私は、当初から、卒業に至った今まで、一度も、一瞬も、リワークを休みたいというふうには感じませんでした。
その場にいる人との関係性のよしあしによって、自分のモチベーションは左右されない。という思いがありました。それは、一つには、自分はあくまで自分の道をいく、というスタンスだったこともありますが、それ以上に、うまくいっているとは言えない関係性の中でも、参加し続けることを通じて、しっかりと関わり続けていく、そのことに意味があることを確信していたからでもあります。こうした私のパーソナリティは、私の持つある種の強さでありえますが、それは自身に負荷がかかることを伴い、そうした自分で自分にかける負荷のリスクを軽視しがちな面が、自分を休職するような状態に追い込む要因の一つであった…というふうに向き合うのは、だいぶ後のことになります。そんな私ですが、メンバーとのコミュニケーションの断絶や拒絶を良しとしたり、まして望んだりというようなことは、一切、一度も、一瞬たりともなかった、と、ハッキリ言えます。むしろ、どのような「現状」からであっても、「わかりあう」ということを、(CRESSという場のみならず、今までとこれからの人生のあらゆるシーンに於いて)願い続けてきましたし、自分の全力で、それを為そうとしてきました。
「私は人間です。ですから、およそ人間に関することで、私とは無関係なこと、というのは、ないのです。」ーテレンティウスの戯曲「自虐者」より
私とメンバーとの間では、度々、本音のぶつけ合いをしてきました。私自身と、そしてそれ以上に、それに応えてくれたメンバーのみなさまの真剣さのおかげで、CRESSからの卒業を迎えた今、本気で向き合う関係に至っています。私はそこに、僥倖を感じています。そして、そこに至るまでの中で、私は、私の中にいた様々な私と能動的に出会うことができました。その世界は、私とCRESSのメンバーやスタッフのみなさまとの関わりがなければ、届くことはなかったであろう世界です。あらためて、ここに深く感謝いたします。
そして、これからの私と、CRESSのメンバー・スタッフのみなさま、そして、この文集を手に取って読んでくださっている「あなた」に、この言葉を捧げます。
BLESS!(祝福あれ!)
S.Y.さん(リワーク在籍期間:320日)
『CRESSでの「ありのまま」』
卒業文を書いているいま現在、慣らし勤務期間の最中です。午前勤務をした後に、午後のリワークプログラムに参加しています。リワークでの体験を持った状態で社会に再び戻りつつあることに対しては、楽しさや期待を感じます。一方で、濃密な10ヶ月半を過ごしたリワークから離れつつあることに対しては寂しさや不安があり、また同時に、リワークで得たものを職場で実践する難しさも日々感じています。
リワークで得た体験は、今の私にとって、そしておそらくこの先も、何ものにも代え難いものです。そのためうまく書き表せませんが、ひときわ大きい感覚が私のなかにあります。それは、人とのコミュニケーションについてありのままを体感した、というものです。
休職前の職場においてや、それ以前(学生時代)含め、まわりの人との関わりの浅さは何となく感じていました。深く関わらないからこそ大きな衝突もなかったので、「深く関われなくたって別に構わないし、社会で生きていくってそういうものだろ」と思っていました。
このような意識でリワークに参加するなかで、他のメンバーや先生方から「あなたの気持ちが分からない」と言われる機会が度々ありました。こういった言葉を受けてもなお、前述同様に「それで別に構わない」と思う気持ちもありましたが、それと同時に、とても動揺しました。だからこそ、この出来事について、リワークのなかで悩み、相談し、考える時間を過ごしました。そしてリワーク内で人と接するなかで、「周囲の人に私の気持ちを分かってもらいたい」と、自分自身がどうしようもなく強く願っていることを、少しずつ認識していきました。
もちろん、この気持ちを自覚したからといって、人とのコミュニケーションが劇的に変化するわけではありませんでした。それでも、「相手に私の気持ちを分かってもらいたい」「私も相手の気持ちを分かりたい」と思いながら、リワークのなかで人とのコミュニケーションについて試行錯誤をしました。試行錯誤のなかで他のメンバーと関わりあったこと、関わりあおうとしたこと、ときには関われなかったこと。これらを生身で、肌で、体験しました。相手を誤解したり、理解したり。自分も誤解されたり、理解してもらったり。これらのやり取りがいずれも含めて、私にとって、とてもとても大切な、ありのままのコミュニケーションが存在した時間です。
ありのままのやり取りだからこそ、衝突したり、傷ついたり、癒されたり、寂しくなったり、安心したり、逃げたくなったり、欲したりと、様々な感覚を得ました。そう考えると、私とまわりの人との間にあるものが、以前と比べると少しだけ鮮明になったような気がします。「心が動く」とか「心を通わす」とか、そもそも「心」だなんて、正直よく分かっていませんでしたが、これらの積み重ねがそう呼べるものの一部だったのかもしれないし、そうであれば良いなあと切に思います。
そして、このようなコミュニケーションを私自身が必要としているのだ、と自覚すると、もといた職場に戻り、もう一度やってみたいという気持ちが出てきて、最終的に復職を決心するに至りました。(当初は、人との関わりを断ちたく思い、転職を希望していました。)人との関わりで傷つくことを恐れて、社会における集団から逃げたいとばかり思っていましたが、リワークでまわりの人と関わるうちに、リワークという集団に属している事実にこの上なく安心している自分にも気づいたからこそ、復職に気持ちが向かっていったのかもしれません。
とはいえ、いま現在も、私のなかには前向きな気持ちだけではなく、相変わらず「傷つくぐらいなら深く関われなくたって別に構わない」と、人との関わりをすぐに諦める自分もいます。または、「不安に目を向けて憂うつな気持ちになるくらいなら、不安を見ずにやり過ごしてやる」と自身の状態から目を逸らす自分もいます。
それでも、これらの様々な不安定な気持ちも抱えながら、むしろそこにこそ目をむけながら、CRESSという集団で得た体験を持って、社会の集団に戻り、もういちど何とかやってみようと思います。
最後になりましたが、約10ヶ月半(2022年4月から2023年2月)もの間、リワークルームでの苦楽の時間をともに過ごしたメンバーの皆さまと、真摯に向き合い続けてくださったスタッフの皆さまに、心よりお礼申し上げます。
ここまで記したものが、ともに過ごした皆さまとの、または、時が異なれども同じCRESSに通った(もしくは、通う、通うかもしれない)皆さまとのささやかな楔となることを祈っています。そして、再び何かに悩んでいるかもしれない未来の私自身との、楔としようとも思います。
格好つけてつらつらと書きましたが、とにかくありがとうございました!!アフターリワークでもお世話になろうと思いますので、引き続きよろしくお願いします!
I.E.さん(リワーク在籍期間:362日)
『おわりははじまり』
2022年3月14日から翌年3月10日まで、まさに丸1年リワークでお世話になりました。この時間は本当にいろいろなことがありました。関わってくださったメンバーさん、先生方、ありがとうございました。
参加のきっかけは主治医の和田先生からの勧めでした。約10年前、眠れなくなりうつ病の診断を受けましたが、クリニックへの受診を続け、時折くる波にも職場の協力を得ながら症状と付き合いながら働き続けていました。ところが今回、これまでと違うタイプの上司との対峙に疲れ果て、治療と仕事を並行することが難しくなり始めて休職することとなりました。
人の役に立つのが好きで、会社でもお客様対応に高評価を受けていたため「自分はコミュニケーションが苦手」という認識が全くありませんでした。今回もオーバーワークになり体調がどんどん悪くなっていることを伝えたものの、理解してくれなかった上司や職場が悪い、そう思っていました。
和田先生からリワークの平均参加期間をきき、正直「そんなに休んで大丈夫だろうか」と思いましたが、プログラム内容をみて、これは3ヶ月では無理、と感じました。私はどこか「生きづらさ」を感じており、自分の中に「あるのに開けてはいけないパンドラの箱」がある感覚があったので、今回復職はもちろんですがこれが開けられればいいな、とも思いました。ただそんな「自分のために時間を使う」ことに、会社に対して罪悪感をもちながら参加を決めました。
そのためリワークへの参加は最初から前のめりでした。初日にメンバー全員の名前と顔を一致させ、4ヶ月自宅にいた自分にどれだけ事務能力が戻っているか理解したくメモをとる。どの時間も無駄にしてはならない。そう思っていた私に、担当の田原先生から最初に受けたのが「過活動」という指摘でした。生活記録をみて「本当にゆったり、ぼーっとしている時間はないんじゃないですか」と問われ、意味がわかりませんでした。ストレスがかかると何か活動や刺激をとることで紛らそうとする、家にいる・何もしていない事が落ち着かない、コーピングコストの高い方法を選択しがちになる。心身を本当に休めることができてなかったことを理解するのに時間がかかりました。
他にも驚くほど気づきがありました。リワークでの体験をすべて受け取る、と決めているからこそ、大変な時間もたくさんあったのに「大変だ」と言うことが難しかったこと。グループ作業ではサブリーダー・リーダーをやっている期間は「必ず発信しないといけない」ことに疲れ、決して「自分から発信することが得意ではなかった」こと。
常に自分の外側にアンテナを張り、周りの状況や期待にあわせて行動し、軋轢を生んだり話し合いに時間を要すくらいなら自分が引き受ける、それで喜ばれるなら、と思っていた私はそもそも「自分がどうしたいのか」ということにフタを閉めていました。またすべての選択のモノサシは「前向きであろうとすること」。それに気づいたのはアサーションのプログラムで「I(アイ)メッセージ」がわからないという壁にぶつかったときです。普段から口数が多く言いたいことを言っていたつもりが「本当に言いたいこと」ではなかった、というのは驚愕でした。
この頃アートセラピーでも自分の中から猛烈な怒りを発する声がして、初めて自分自身の声をきく体験をしました。以降私は自分との対話のことを「暗闇探検」と呼びますが、これは暗く苦しいもので疲労も伴い、また「モヤモヤする」時間も本当に長かったです。役職を2期やってもモヤモヤは増すばかり、出口のない苛立ち、変化しない自分への不安。
ちょうど休職丸1年になる11月頃、体調も悪く這うようにリワークに通っていました。「結局自分がどうにかするしかない」と思っていたところ、担当と相談ができてないのでは?と指摘を受けました。この頃頂いたリワーク報告書の些細な記載ミスに、普段なら流すところ思い切って口に出して伝えてみたところ、自分の中からこれでもかというくらいの不満・訴えの言葉が出てきました。自分をきちんとみてくれているのか?と。でも先生との対話はかみ合わず、言葉を発してもどんどん深みにはまっていく感じと思考が暴走、同時に家の中もどんどん荒れていく。休みたいけどメンバーさんに心配かけたくない、そんな思いで先生に「2日間、休みをください」と言って休みました。まさに休職体験が再現されました。こんな怖いことが起きてしまって、私は復職できるのか?と思いました。でもそこで、自分が思考を駆使して感情にいきつかせないようにしていることに気づき「これでは私の心がかわいそうだ…」と感じました。それだけ自分の感情にブロックをかけていた、パンドラの箱が開いた瞬間でした。
この後から、私の中で何かが変わりました。どんな感情をもってもいい、「怖い」だけじゃなくこれまで自分に許していなかった様々なネガティブな感情たちも自分の中にあると認める。情緒的な部分が強いため、人への共感能力も高いけど、「自分のこともわかってほしい、わかってくれないことにダメージが大きい」という事への気づき。ただこれまで社会で適応していくために使っていた処世術のようなもの(周りの期待に沿って動く)がもう使えないことに、会社に戻って動けるのか?という気もしました。でもそれがはじめの一歩だ、と答えてくれた先生もいました。この期間、担当の田原先生だけでなく、他の先生方や和田先生も含めてチームアプローチで私に対応してくださった、と感じています。
メンバーさんともいろんな関係性がありました。私の疑問に一生懸命こたえてくれた先輩方、一緒に走ってきた・歩いてきた方たち、どうしても近寄れなかった方、私に頼る方、敵意を向ける方。「誰とでも仲良くしないといけない」と思っていた私でしたが、いろんな人がいて当たり前だし「自分と同じ人はいない、だから対話が必要」「自分が話したいときに話したいことを話せばいい」そう思えるようになりました。
また自分の土台となるのは思考(認知)・感情と共に「生活」であると、当たり前のことに気づかされました。ただ長年ついた習慣を変えるのは結構大変でした。セルフチェック・看護面談を通じてテコ入れしてきたこと、朝食をとるとかその日のうちに床につくとか。朝なかなか起きられない私に「どうしたら起きて楽しいと感じられるか」を一緒に考えてくださったことは私のLIFEを楽しく彩ることの一歩になっていますし、数々の心理教育で教えていただいたこともヒントになり、当初もっていた「生きづらさ」が少し「自分の人生、少し楽しくなってきた」と思えるようになっています。また「自分を労わる」と「自分を甘やかす」の違いも、私の辞書に書き加えられています。
いま会社に仮出社という形で出勤しています。リワークでの体験の実践、と実感していますが、簡単なことではありません。ともすれば感情をスルーさせる瞬間がたくさんありますが、肩こりなど身体がサインを出してくれるので「何をそんなに緊張させているの?」と自分に問いかけるようになりました。思えば暗闇探検も、私の中にいろんなキャラが増え今ではにぎやかになっていつしか寂しさも少なくなってきました。これからも「自分がどうしたいのか」を問い続け、暗闇探検を楽しんでいきたいと思います。
I.Y.さん(リワーク在籍期間:390日)
『リワークに参加して』
リワークを卒業して、ひと息ついて卒業文集を書いています。
改めてリワークで過ごした日々を振り返ってみると大変だったけれど通ってよかったと思っています。リワークに参加してからの社会復帰がこんなに心強いものになると思っていませんでした。
私は休職→退職→転職という流れでしたが、リワーク卒業後に前職(休職していた会社)の上司に挨拶をし、次の転職先が決まった報告と、今までお世話になったお礼がやっと言えました。これはリワークに通って、自分の真の休職に至った理由と向き合うことができ、次に進もうと思うことができたからだと思っています。
リワークに参加する前は、表面上の休職理由にしか気が付いていなかったように思います。表面上しか見ていなくて、できない自分を責めたり、周りの人と比べて具合が悪くなっては体調不良を起こしていました。どれだけ悩んでしんどい思いをしても、表面上の理由しか考えていないので具合は悪くなるばかりでした。休職したばかりの頃は「ちょっと休んだらすぐ戻れる」と思っていましたが、気が付けば1年以上が過ぎていました。
人と接することが大好きだった自分が、引きこもることで人に会うことが怖くなり、リワークの参加を決めた時も「知らない人たちに会うこと」が不安で仕方ありませんでした。ですが、リワークに参加してみると同じ悩みを抱えて、それぞれの課題と真摯に向き合われているメンバーさんたちと出会い、私もゆっくりですが自分の休職理由を考えるようになりました。
リワーク参加中は様々な自分の感情と出会い、「私ってこんなに感情豊かだったのか」と驚くほどでした。そしてそれはいいことだけでなく、苦しくなることが多かったです。苦しかった時には先生方やメンバーさんを頼りました。今まで人に頼ると、相手に迷惑になり去って行かれると思い、人に頼ることが苦手でした。ですが、リワークに参加して今までできなかったことができるようになりました。
私の休職した理由の一つは『周りに頼れなかった自分』だったと思います。
全てを自分一人で完璧にやらなければいけないと思い、それができなければ嫌われてしまうと怯えていました。今でもそんな自分がいなくなったわけではありません。悪い方へ考えてしまう時はたいてい一人で考え込んでいるので、リワークでやっていたHWを自宅でやり、認知の歪みを修正しています。
気持ちの面だけでなく、身体面でも体調不良をよく起こすのですが、それがストレスから起こっているのではないかと考えるようになり、今までよりも自分の変化に目を向けるようになりました。
リワークでは復職だけでなく、自分の気持ちの取扱い方、身体への気配りの仕方を教えてもらい、ずいぶんと生きていきやすくなりました。
来月から仕事を始めますが、まだまだ自分が万全の状態だとは思っていません。
リワーク卒業後も継続して治療に取り組み、病気と共存していけたらと思っています。
最後になりましたが、ここまでこれたのは一緒にいてくださったメンバーさん、先生方、主治医の先生のおかげです。本当にありがとうございました。
K.Y.さん(リワーク在籍期間:416日)
『CRESSでの1年間』
何だここは?というのが初日に受けた印象でした。
自分はここに来る人間じゃないとも思いました。
自分には問題はない家庭内の事情で疲弊しただけだ。
3ヶ月で出ていってやると考えていました。
でも、結局1年間在籍しました。
当初の3ヶ月は特に大きな出来事もなく過ぎていきました。
それは自分にも他のメンバーにも向き合わず何もしていなかったからであり当然の結果でした。
4ヶ月目に入った時、家族がコロナに感染し長期欠席。
理由もあるしまた普通にリワークに通えばいい程度に考えていた私に突き付けられたのは「リワーク中断」という言葉と担当の先生からの「取組姿勢」への指摘でした。
そこにショックを受けつつもまだ「自分事」とは捉えられていませんでした。
ある日のグループディスカッションで「家族の事と自分の事は別」ということを先生やメンバーから明確に突き付けられ初めて『自分事』として向き合う事ができました。
その後は色々と今までにない負荷が色々とありました。
自分とは違う捉え方や受講態度に対する不満や怒り。
自分が発したメッセージが意図しない形で認識される事による波紋で受けるショック。
担当の先生のフィードバックや意見が受け止めきれないことで生じた怒り、不満、そして受講拒否。
在籍が長くなることによる新メンバーとの距離感や疎外感。
「もうええわ」と思うことが山ほどありましたが、それでも振返ってみるとどこかで誰かが話を聞いてくれていました。
その支えがあったからこそ休むことなく通い続けられたのだと思います。
今も私は怒りを非言語で表現してしまいます。
思った事を後先考えずに発信してしまいます。
自分の尺度に合致しない人を排除してしまおうとしてしまいます。
つまりはまだ「こころは大人になっていない」のでしょう。
しかしながら以前と違って少なくともそこが分かっていない自分ではありません。
非言語表現をしてしまっても気付いたり短時間で止めようとする自分はいます。
そして何より休職したのは「自分にも原因がある」と理解した自分がいます。
一度目の休職から10年後の今回二度目の休職をしました。
三度目が絶対ないとは言い切れませんが少なくとも「お子様な自分」を理解できたということがこの1年間で最大の収穫であり、復職後は「あれ買って~」とダダをこねる自分にどこかで「ああ、またこの子がダダってるよ。仕方ないなあ」と見ることができる自分が助けになってくれると思います。
最後に、言いたい放題やりたい放題(?)だった自分に1年間お付き合いいただいた諸先生方及びメンバーの方々、本当に感謝しております。
ありがとうございました。
O.T.さん(リワーク在籍期間:341日)
『CRESS卒業文集』
二回目の休職。会社に薦められリワークに参加することになりました。
初めてのリワーク、最初は3ヶ月で卒業するつもりでいました。しかし主治医・会社の産業医からはゆっくりして下さいといい、回答は貰えませんでした。あっという間に3ヶ月が過ぎ、次は6ヶ月で卒業だと思っていました。
生活習慣もある程度整い、リワークや復職に対しての目標設定についても、自分なりには達成率はいい方だと思っていました。もうすぐ卒業だと思っていた時に担当の臨床心理士の先生からのリワーク報告書をみて、愕然とし満身創痍になりました。
この6ヶ月間のリワークでの体験が何の治療にもなってはいないのではという内容でした。
自分の気持ちの中では到底頭で理解し受け入れられる事ではありませんでした。
自分はこのままリワークに通っていて会社に戻れるのだろうか。自分は変われるのだろうか。小さな気分の落ち込みは今までありましたが、リワークでの体験で一番の落ち込みと挫折でした。リワークに行く気力もなく休もうとも思いました。やめようかなという感情さえ浮かんできました。しかしここで挫折してしまっては、リワークでも休職体験をすることになり立ち直れないのではと。つらい日々が続きましたが、休まずリワークに通いました。
このとき本当にリワークのメンバーに心配され支えられたなということを感じました。今までは正直上辺だけの会話しか出来ておらず、自分の感情の部分を話してきませんでした。しかしこの時の体験から一部のメンバーではありますが、自分の気持ちを少し話できるようになりました。また報告書の件で複雑な思いはありましたが、担当の先生にも少しずつ心を開けていけたのもこの体験があったからこそだと今は感じます。
もうひとつリワークを通じ大きな気づきがありました。それは躁的な自分に気づくことでした。
担当の先生からの個別相談で、自分の躁的な部分について話がありました。最初は頭の中で理解し自覚することができませんでした。それどころか自分に躁的な部分があることを指摘され、受け入れることができずにそうは思わないし、何がどうして躁的なのかと心の中で反発していました。
そうしたことがあり日々悶々とすることが多くなりました。でもその悶々とした感情は反発しつつも、心の中でひっかかり自分に躁的な部分があることを気づき始めていたと思います。
それからもリワークに真面目に取り組む日々が続き、10ヶ月が過ぎたころ自分の心の中で自分には躁的な部分があり、リワークでの自分の行動に躁的部分があることに気づきました。それから過去の自分や担当の先生からの指摘を頭の中で整理して、自分の躁的部分について徐々に認めていけるようになりました。担当の先生に反発していた自分が嫌になりましたが、それからは自分の躁的な部分について少しずつ相談できるようになり、自覚できるようになったと感じています。
それから行動や気持ちに変化が表れてきました。気持ちや日々の行動に落ち着きがでてきました。油断すると躁的な部分はでてきますが、自分でも気づけるようになり担当の先生からの助言も素直に受け入れられるようになりました。それから中々具体的に話が進まなかった会社との復職への話もスムーズに進んでいきました。これは躁的な自分に気づかせてくれた担当の先生のおかげだと思います。本当に感謝です。自分の躁的な部分とは一生付き合っていかなければなりませんが、このリワークでの経験がこれからの自分の気持ちや感情に大きなよい変化を与えてくれたのは間違いありません。
全体を通してリワークでの体験はいいこともありしんどくつらいこともたくさんありましたが、自分にとって無駄な時間ではなかったと感じています。
最後になりますが主治医の先生、担当の先生、各先生方、卒業された方を含むメンバーにあらためて感謝とありがとうという言葉を伝えたいと思います。本当にお世話になりました。
M.S.さん(リワーク在籍期間:257日)
『卒業文集』
私は2022年7月から約9ヶ月リワークに参加しました。きっかけは主治医である和田先生からの勧めで、復職についてあまり考えられていなかった自分は、そういうものがあるなら行ったほうがいいのかな、ぐらいの気持ちで利用を開始しました。
リワークに参加して、初めに思ったことはメンバーと自分とのギャップでした。私から見たメンバーは、明るく積極的にプログラムに参加されているように見え、私は元々消極的な性格で自分から発言することもできなかったためです。
特に自分の発言に自信が持てず、相手に「この人何を言ってるんだろう、変なこと言う人だな」と思われないかと気にするあまり、発言することを避けていました。
そんな私の考えが変わっていくきっかけになったのは、リワーク参加して4ヶ月目のSSTの脇役への参加でした。脇役は主人公役の方に必ずフィードバックする必要があるので、それが怖くてずっと避け続けていました。それでも先生から「参加しないで後悔するより参加して後悔するほうがよいのでは」との言葉をいただき、ようやく脇役で参加することができました。その頃から自己開示することへの抵抗は減っていき、プログラムに積極的に参加していこうという意欲も強くなっていきました。同時に卒業されていく方や復職に向けて活動されていっているメンバーの話を聞く中で、私も復職への意識を高めていくことができました。
ただ半年たって、自己開示はできるようになっても、メンバーの発言に対してフィードバックや、メンバーのことを思って自分の考えを伝えることがほとんどできない事は変わっていけていませんでした。それを思うとメンバーとの「つながり」を感じる事ができず、疎外感で落ち込むこともありました。
それでも復職に前向きになっていく自分に対して、何をしたら自信が持てるんだろうと考え、それは私の性格上形が見えやすい形のプログラム参加でした。そう考えグループ作業のリーダーに立候補することができました。自分の変われていない部分に不安を抱えながらでしたが、立候補できたことが自信につながりました。
私は「できた、できなかった」ということにこだわりすぎて、変わることができない事、プログラムに参加しても自信をもってやり切れたと考えられない事に、落ち込みを感じていたと思います。そうではなく、変われない自分に落ち込むよりも、少しでも変われていった自分を認めていくことで、その考えは和らいでいき自分に対して自信を持てていったと思います。
最後になりますが、支えてくださった先生方、メンバーの皆様本当にありがとうございました。
F.S.さん(リワーク在籍期間:214日)
『リワークでの気付き』
私は復職までに2年かかりました。長い期間でしたが今はその2年間は私にとって、必要な時間だったのだなと思っています。
CRESSには約7ヶ月間在籍させていただきました。復職が怖くてしょうがない自分が少し変わりつつある頃で、復職するためにどうしたら良いか、とグループワークも重視しているCRESSに参加したいと希望しました。3箇所目のリワークでした。
自分でもコミュニケーションは苦手ではないはずなのに、ずっと違和感がありました。それが何かは分かりませんでしたが、CRESSで、今まで表面的なコミュニケーションばかりで、本当の自分の気持ちを相手につたえ、相手の気持ちを受け取るという、本来のコミュニケーションがずっと取れていなかったことに気づきました。
職場でも本当の自分は見せずに、仕事が出来なくて困っている自分を隠して不安すら口にしていませんでした。でも本当は周囲より仕事が出来ないという劣等感を強く感じていましたし、そんな気持ちがあるのに、本当の気持ちを全く伝えることをしていませんでした。
私はリワークでも同様に、周りの人は自分の気持ちに向き合えているけれど、私は自分自身がわからず自分の気持ちを言葉にできない、と劣等感を感じることになりました。そんな私に先生が気づいてくれて一緒に考えることができました。
私自身は自分のことを考えるだけで精一杯でしたが、このリワークでは、自分のことを考えてくれる仲間や先生方がいます。それがなんて素敵な事なのだろうと、今になってしみじみ思っています。自分のことでこんなに周囲からフィードバックがもらえて一緒に考える機会があるということは、なかなか出来ない経験です。
でも実は、最初はリワークでの経験も、怖くてなかなか経験することが出来ませんでした。特にSSTは緊張感が強く、主人公は卒業間近にやっと出来たほどでした。それは周りにどう思われるか、出来ない自分を見られてしまう事がすごく怖かったからです。せっかくこんなに自分のことを考えてくれる皆さんがいるのに、自分をさらけだすことが出来ませんでした。でも、やっとのことでやってみると、怖かった感情から次の感情へと続いていくことになりました。怖くて立ち止まっていると、ずっと同じ怖さの中にいる事になるのかも知れないな、と思います。自分をさらけだすことは今でも苦手ですが、自分の感情を「不安で怖いです」と話すことができたCRESSの皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。
出来ない自分を受け止めて、困っている自分を認識して、それを口に出す。これからは相談もできるようになりたいと思っています。
色々な気づきがありましたが、「自分の心に触れることも怖くて、相手の心に触れることも怖い自分」を忘れないで、これからもやっていきたいと思います。本当にありがとうございました。
U.S.さん(リワーク在籍期間:241日)
『課題は続く、どこまでも』
私は主治医の勧めにより2回目のリワークを2022年7月より始めました。その時思っていたことは、『またリワークに戻ってきてしまった』、『今のリワークのメンバーに私はどのように思われてるんやろ』、『職場を恨む』など不安と怒りしかありませんでした。
プログラムに参加した当初は順調に出席していましたが、時間が進むに連れ出席率が悪くなりました。特に月曜日に体調が悪くなり欠席することが増えました。当時はなぜ体調が悪くなるのか分からず不安になったのと、欠席して家でのんびり過ごしたい私がいました。時間が過ぎると卒業されるメンバーと新しいリワークメンバーも増えていき、『私は何をしてるんやろ』と思う日々が過ぎました。それでもリワークメンバーと先生たちは私を見捨てず、日々話かけて頂いた事に感謝しかありません。ありがとうございました。
N.J.さん(リワーク在籍期間:369日)
『卒業にあたって』
気がつけばリワークの卒業まで一年経過していました。
産業医さんのすすめでリワークに来た当初は一年間もお世話になるとは思いませんでした。
けして順調ではなく途中、1ヶ月半の中断もあり、すごくしんどい時期もありましたが、リワークのメンバーにその都度助けてもらったと思っています。
人生の中でこの一年はとても貴重で大切なものとなりました。この経験をふまえ、残りの人生は、主人公になって生きていきます。
M.S.さん(リワーク在籍期間:309日)
『自分にとって本当に必要な選択に向き合う』
私は、リワークプログラムに参加したことで、当時は認めたくなかった休職という失敗を心から受け入れ、その失敗を無駄にせず成長できました。かかわってくださった先生、メンバーの皆さんに心から感謝しています。
CRESSリワークプログラムには、主治医に紹介されたことがきっかけで出会いましたが、当初は集団での活動に苦手意識があり全く気が進みませんでした。しかし、会社の産業医からも勧められ、“仕方なく”という消極的な姿勢でスタートしました。そのせいもあって、参加したばかりの頃はメンバーとも積極的に関わろうとせず、とにかく淡々とこなしていこう、自分が学びたいことだけ学ぼう、という意識で過ごしていました。
そして、参加してから2週間ほど経った頃、どうしようもなくリワークに行きたくなくなり欠席が続きました。「やっぱり自分には合っていなかった。一人で自分に合ったやり方で復職を目指すべきだ」と、人との関わりを避けるようにして中断を決断しました。
実質的に、これが私にとって2度目の休職でした。“人との関わりの中で自分を開示できず、困ったときに一人で抱え込んでしまうことで疲弊し休んだ”という弱く未熟な自分を知りました。これらは、担当の先生との関わりで気づくことができました。その後はプログラムへの向き合い方や受け取る学びが変わり、メンバーの誰もが自分の内面にある課題に取り組んでいることにも気づき、少しずつ自分を開示して人と関わりながら悩みや苦痛を解決していくことの大切さを知っていきました。
復職が決まり卒業を迎えた今、正直万全の態勢とは言えません。ただ、リワークで色んなメンバーと関わりながら失敗や成功を繰り返して出会った気づきや考え方を忘れず、自分にとって本当に必要な優しい選択ができれば、困った時や苦しい時も乗り越えていけると信じています。
K.S.さん(リワーク在籍期間:96日)
『リワーク卒業にあたって』
私は、2009年から当院で投薬による治療を続けてきました。そして、2022年12月~深刻な抑うつ状態により休職することとなりました。主治医の和田先生から、先ずは、ゆっくり休むように指示され、はじめのひと月強は、気ままな自宅療養をして、過ごしました。その後、年度替わりの4月1日に復職することを目標にリワーク参加で回復を図る日々がスタートしました。
私がリワークへ通うことにした理由は、長年、苦しみ続けてきた症状を少しでも軽減する方法を得たかったからです。
産業医からは、リワークに必ずしも行かなくてよいと言われていましたが、自宅療養だけでは、復職後に再発するだろうことが予見されました。
2023年1月末~リワークに通いはじめ、当初は色々なプログラムで意味や効果を感じられず、悶々としながらも、淡々と取り組み、続けました。そうしている内に、しばらくすると滅入ってきて、調子の悪い状況に陥りました。不調の中でも、リワークの、各プログラムや課題に継続して、向き合いました。その結果、最初の頃には、理解できなかったことに気付けるようになった変化を感じはじめました。その兆しが漸く現れた時には、当初の復職予定が間近に迫っていました。
結局、産業医と和田先生と相談の上、復職を一月先延ばしすることになりました。この時点では、1ヶ月後の復職も自信が持てていませんでした。然し、メンバーの方々の意見を素直な気持ちで聴き、受け入れられたり、自ら発信、行動したりするにつれ、自身でも驚くほど心境に好転があり、良い状態にある、自分を感じられるようになり、無事に卒業を、迎えることとなりました。
今では、復職できる喜びより、リワークを卒業してしまう淋しさが勝っています。このような気持ちに至ったのも、根気強く親身に寄り添って下さった担当の大野先生や、スタッフの先生方と、いつも苦楽を共にしたメンバーの方々の存在があったからに他ありません。本当にありがとうございました。
心より感謝を申し上げます。
A.S.さん(リワーク在籍期間:73日)
『CRESS卒業文集』
リワーク参加当初、私は「リワークは復職への踏み台だ。利用できることを利用すればよい。メンバーだって同僚でも友人でもないのだから、無理に仲良くなる必要もないだろう。」そう考えていました。もっと言えば、「うまくやって早く抜け出そう。」という甘い気持ちもあった気がします。
ところが、実際に毎日通ってみると、メンバーの相手の課題を素直に指摘し受け止めあう姿、伝えたいことを分かりやすく言葉で表現する姿、自分の過去や悩みを吐露し時には涙を流したり感情を爆発させる姿…そういった真剣な様子を目の当たりにして、とても面食らってしまいました。年齢・性別・職業にバックグラウンドもバラバラな人たちが、それぞれにもがいている。そんな印象を受けました。
とはいえ、私にも長年培ってきた人との関わり方、組織の中での振る舞い方というものがあります。「みんなはそうやっているが私は私。物分かり良く、その時に最適な行動をとり適切な発言をする。」そういうすました態度をリワーク内でも無意識に繰り返していました。
そんな考えや行動が変わったのは、復職ではなく転職が決まり、卒業が見えてきた時です。なぜだかリワークに通うのが憂鬱で、疎外感や孤独を感じるようになったため、思い切ってメンバーや先生に素直に相談してみました。その時に返ってきた「あなたは仮面を被って人と接している。リワークにただ綺麗に参加し綺麗に終わろうとしているだけでは?」という言葉が今も忘れられません。突かれると痛い図星だったからです。心のどこかでは気づいていたのに、ずっと見てみぬフリをしていました。
そこからは残された時間に必死にしがみつき、少しでも自分の殻を破ろうと試行錯誤する日々でした。プログラムでのやりとり、休み時間の会話、SSTの主人公への挑戦等…その中で「必死にもがいて人と関わることができるみんなが羨ましかったんだ。」「それができる自分になりたい。」「私のすました態度が職場での苦しさ・疎外感に繋がっていたんだ。」ということを素直に認め、向き合わざるを得ませんでした。初めてリワークで苦痛を感じた瞬間でした。
卒業前日もグループ作業にて、今までのメンバーとのやりとりや知ることができた人柄などを思い出しながら、意見を出しリーダー決めに参加しました。メンバーから「最後まで一員として自分ごとと捉え、積極的に参加してくれて嬉しかった。一緒に作業できないのは残念だけど、気持ちが伝わった。」と言っていただき、ようやく本心の素直な自分で仲間とコミュニケーションが取れたという気分になりました。
もっと早く自分の課題に気づいていれば、もっと得られることがあったと思います。でも、最後の最後までもがくことはできるし、それを受け入れてもらえる環境がリワークにはあると思います。職場でどこまで受け入れられるかは未知数ですが、自分の課題を見つめて正直に相談しながら、リワークでできたことに少しは自信を持ち、粘り強く周囲の人と接していきたいと考えています。
Y.H.さん(リワーク在籍期間:386日)
『CRESSの卒業を迎えるにあたって』
私は2022年5月から職場に行けなくなり休職することになりました。当初は、復職できるイメージが全く持てなかったのですが、2022年7月からCRESSに1年以上通わせていただき、ようやく復職できる状態になりました。
卒業文集を書こうとすると、復職への不安、CRESSから離れる寂しさ、周りの人への感謝等、色々な感情が押し寄せてきて胸が詰まり、なかなか手が動かせませんでしたが、少しの振返りと今の私が感じていることをCRESSで過ごした証として残しておきたいと思います。
まず、CRESSに通って感じた変化としては、生活がしやすくなりました。休職する前と比較すると規則正しい健康的な生活が送れるようになったと思いますし、それに伴い体調も良くなりました。
コミュニケーションの面では、参加当初は周りのメンバーに話を合わせるのに必死で、人と関わることに疲れや面倒臭さを感じていました。CRESSに通って、少しずつ他人に調子をあわせるだけでなく、自分の思ったことを素直に話せるようになってきました。理解不能と思っていた他者の言動も、相手の考えを聞くことで理解できたり、完全に理解はできないけれど少し納得できたりという経験もできました。最近では、メンバーが何を考えているのかもっと知りたいと思うことも増えてきました。
振り返ると、私は職場でも同僚と楽しくは話せるけれど、当り障りのないことしか言えず、困りごとなどは全部自分の中で解決しようとしていました。復職後は、自分の思っていることを伝えたり、相手の思いを受け取ったりということが職場でできるようにしていきたいと思っています。
1年間CRESSに通ってもあまり変化していないと感じていることも、正直あります。
一番は自分の性格はそんなに大きく変わらないということです。気づけば集団の中でしっかり者ポジションにいたり、仕事についのめり込んでしまったり、一度やると決めたことを諦められなかったり。一方で、人間関係を悩ましいと感じると急に関係を維持しよう、話し合おうという努力を諦めてしまったり。CRESSに通う前と変わらない自分のパターンが今でもあると感じています。
それでも、そういうところが自分にあると、この1年間で知れたことはとても大きな気づきになりました。気づいただけで根本的に変われていない自分に不安がないといえば嘘になりますが、自分の特性を理解して、少しでも休職前と違う働き方ができればと思います。
やはり、1年以上過ごしてきたCRESSを卒業するのは不安で、寂しいです。この1年間の生活の大部分を占めていたCRESSに通えなくなるということ。休職という同じ苦しみを共有し、時には率直な意見やアドバイスをくれるメンバー、いつも滅茶苦茶な私の話を理解しようとしてくれる先生方と毎日会えなくなってしまうということ。夜になるとふと不安や寂しさが戻ってきて、自分の感情に飲み込まれてしまいそうになります。
それでも、メンバーの皆さんや先生方と一緒に復職に向けて取り組んできたからこそ、私も復職しないといけないと感じています。休職した当初は復職なんて全く考えられませんでしたが、今こうやって復職を控え卒業文集を書けているのはCRESSで色々な経験をしてきたからです。一人で自宅療養を続けていたら、家族以外の人と関わる嬉しさや安心感を得られることはなかったと思いますし、逆にこんなに自分のことや人間関係で悩んだり苦しんだりすることもなかったと思います。CRESSでメンバーや先生方と出会えたから経験できたことがたくさんありました。そのお陰で、私も人間的にひと回り成長できたかな?と思っています。
みなさんとの出会いに心から感謝します。1年間お世話になりありがとうございました。辛い時、苦しい時に、これからは心の中でCRESSに帰ってきたいと思います!
O.T.さん(リワーク在籍期間:168日)
『リワークへの参加を悩まれている方へ』
ほんの数カ月前には、私もあなたと同じようにリワークに参加することをためらいました。
そんな私からメッセージを送ります。
これからお伝えする内容は、リワークに参加する前後の私の体験を基に本音を記しています。
- 【参加することへの抵抗】
- リワークに参加する、と決断するまでに3ヶ月もかかりました。
ありきたりですが、悩んで時間を失うよりも参加してみて判断される方がよいと思います。
ただ、個人差もあるでしょうが、最低2ヶ月間は継続してみないと、自分に合うのか合わないのかを判断するのは難しいと思います(理由は後述) - 【一体何をさせられるのか?】
- リワークには座学やグループ作業、ディスカッション、その他にも多くのプログラムが用意されています。その中には苦手に感じるものや興味が湧かないものもあるかも知れません。
ですので、最初から頑張らなければ、と意気込む必要はないと思います。
疲れているご自身の心の状態と相談しながら、他の参加者やプログラム自体に慣れるまでの間は取り組みが積極的になれなくても良いと思います。そうして、少し余裕が生まれたなと感じたら、一つひとつのプログラムの目的を再確認して、一歩踏み込んで取り組んでみる。
そうしているうちに、他の参加者とのコミュニケーションが生まれたり、何かに気付いて行動が変わったり、面白みも少しずつ湧いてくると思います。 - 【結局何が得られるのか?】
- 私の場合は、参加してから1ヶ月を経過した頃にモチベーションが下がりました。
それは次の段階へ移るタイミングだったのだなと今はそう思います。ではモチベーションを取り戻すために何をしたかと言いますと、開き直って自分の考えや思いをどんどん発信して他の参加者の反応を観察しました。そうしてみると共感してくれる意見もあれば、反感を表す意見を返されたりもしました。職場でも同じ様なことが起きていたなと思い当たることが幾つもありました。リワークは疑似的に社会経験ができる、言わば仮想の職場、と考えてみると実際の職場では失敗することが怖くて出来ないことが何度でも試せ、他の参加者やスタッフに意見を求めることができます。
これこそがリワーク参加の最大のメリットだと思います。- どんな事をすれば自分が不調になるのか?
- どんな事を他人からされると不調になるのか?
- そうならない為にはどうすればよいのか?
もちろん、それは痛みを伴う辛い営みでもあります。しかし、その体験は自分が気付いていなかった自分自身を必ず教えてくれると思います。
そうして自分を知ることで、リワーク参加中および復職後に降りかかるであろう様々な問題への対応力、ストレスへの対処、自分の心をコントロールする能力は必ず向上させることができると思います。
自転車を漕ぎ出す時のように、最初の一漕ぎは負荷がかかりますが、いったん車輪が回り出せば楽に進み出します。
元の元気なあなたに一刻も早く戻れることをお祈りします。